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いじめの「原因」と「解決策」についての考察


「いじめ」は、共存共栄の世の中を実現させ、維持する上で、避けては通れない重大な問題です。

「いじめ」は、相手の教育を受ける権利を著しく侵害し、心身の健全な成長と人格の形成に重大な影響を与えるだけでなく、相手の生命や身体に重大な危険を生じさせるおそれがあります。


 また、「いじめ」は、「いじめ」をする児童にとっても、幸福な人生を送る妨げとなります。

 基本的に、「いじめ」は集団で行なわれますが、「いじめること」を「悪いこと」と認識していない人の集団にあっては、いつ、自分が「いじめられる側」になるか分かりません。
 ですから、「いじめ」をする集団の中にいる人は、常に、その緊張感を持つことになり、精神的に落ち着くことができません。

 また、「いじめ」をする人は、誰と接するときでも、自分が「いじめられる側」にならないように警戒したり、勝ち負けにこだわったりしてしまうので、いい人間関係を築くことができません。

 また、「いじめ」をする人は、本質的に嫌われているので、たとえ仲間が多くいるように見えても、最終的には孤独になってしまいます。


 このように、「いじめ」は、「いじめ」をする児童も不幸にしてしまうものなのです。

「いじめ」と言うと、「いじめ」を受ける児童の幸福が損なわれるという点のみに目が向きがちですが、実際は、「いじめ」をする児童の幸福も損なわれる重大な問題なのです。


 さて、共存共栄クラブでは、この「いじめ」を、共存共栄の世の中を実現させ、維持する妨げとなる重大な問題と捉え、その「原因」と「解決策」について考えています。


 結論から言うと、「いじめ」が起こる根本的な「原因」は、「いじめ」をする人が、「『人間関係をいい状態にすること』を当然のこととする思想(考え)」を持っていないからです。

 また、「いじめ」を完全になくすための「解決策」は、全ての子供を「大和思想のような思想(考え)を持った人間」「『人間関係をいい状態にするために必要な能力』を身に付けた人間」に育てることです。

 そして、そのために必要なことは、家庭における「道徳教育」をしっかり行なうこと、学校における「道徳教育」をしっかり行なうこと、「メディアのあり方」を正すことです。


 これから、これらについて、順番に説明していきたいと思います。



 2023年度に全国の小・中・高校、特別支援学校で認知された「いじめ」の件数は、73万2568件でしたが、彼らは、なぜ「いじめ」をするのでしょう?


 彼らが「いじめ」をする「原因」は、いくつかありますが、根本的な「原因」は、彼らが「人間関係をいい状態(互いの尊厳が保たれている状態)にすること」を当然のことと考えていないからです。

 つまり、「『人間関係をいい状態にすること』を当然のこととする思想(考え)」を持っていないからです。


 ここで言う「思想」とは、「その人の『生き方』や『行動』を決定付けている考え」「その人が『生き方』や『行動』を決定するときに『判断の基準』にしている考え」のことです。

 ですから、ここで言う「思想」と「その『思想』を持っている人の行動」は関連しています。


 例えば、「『自分さえ良ければいい』という考え(思想)」を持っている人は、あらゆる場面で、「自分勝手」な「わがまま」な行動をします。

 また、「『共存共栄の世の中を維持して生きる』という考え(思想)」を持っている人は、あらゆる場面で、相手を「尊重」し、「気遣い」をし、「調和」を乱さない行動をします。

 また、「『目的を実現させるためには努力をする必要がある』という考え(思想)」を持っている人は、「目的」を実現させるときには、必ず「努力」をします。


 同じように、「『いじめること』を『悪いこと』とする思想(考え)」を持っていない人は、当然、罪悪感を感じることなく「いじめ」をします。

 また、そのような人に「いじめをするな」と言っても、その人は「いじめること」を「悪いこと」と考えていないので、効果はありません。


 逆に、「『人間関係をいい状態にすること』を当然のこととする思想(考え)」を持っている人は、何も言わなくても「いじめ」などしませんし、「いじめ」を見ると、それを「良くないこと」として認識するのです。


 このように、「思想」と「その『思想』を持っている人の行動」は関連しているので、このことから、「『人間関係をいい状態にすること』を当然のこととする思想(考え)」を持っていないことが、「いじめ」をする根本的な「原因」だと言えるのです。


 さて、「いじめ」をする根本的な「原因」は、その人が「『人間関係をいい状態にすること』を当然のこととする思想(考え)」を持っていないからなので、「いじめ」を完全になくすためには、全ての子供を、「『人間関係をいい状態にすることを当然のこととする思想(考え)』を持った人間」に育てる必要があるのですが、共存共栄クラブでは、大和思想が、その思想としてふさわしいと考えます。


 大和思想とは、「『世の中の全ての人が、自ら率先して、普段自分が関わっている全体をまとめること』によって『共存共栄の世の中』を実現させ、世の中の全ての人と共に『幸福』になる」という思想です。

 このような思想を持っている人は、「いじめ」などしませんし、それだけでなく、常に、積極的に人間関係を「いい状態(互いの尊厳が保たれている状態)」にしようとします。


 また、「いじめ」をする人の多くは、「自己肯定感(『自分は認められている』『自分は愛されている』『自分には価値がある』『自分は大切な存在だ』等の自分を肯定的に捉える感覚)」が低いと言われています。

「自己肯定感」が低いから、他の人をいじめて自分の立場を上げ、自分の存在価値を高めようとしてしまうのです。


「自己肯定感」が低い原因(自分に価値を見い出せない原因)は、その人が持つ「『人間の価値』を測る判断の基準(価値観)」が、自分の価値を見い出せないものだからです。


 例えば、「成績がいい人には価値があり、成績が悪い人には価値がない」という考えをその「判断の基準」にしている人は、成績が悪かったら自分に価値を見い出すことができません。

 また、「容姿がいい人(かっこいい人、きれいな人、かわいい人)には価値があり、そうでない人には価値がない」という考えをその「判断の基準」にしている人は、自分の容姿が良くなかったら、自分に価値を見い出すことができません。

 また、「裕福な人には価値があり、貧しい人には価値がない」という考えをその「判断の基準」にしている人は、裕福でなかったら自分に価値を見い出すことができません。


 このように、自分に価値を見い出せない考え(価値観)を「『人間の価値』を測る判断の基準」にしていると、当然、自分に価値を見い出せないわけですが、「いじめ」をする人の多くは、そのような考え(価値観)を「『人間の価値』を測る判断の基準」にしているのです。

 そのため、彼らは「自己肯定感」が低いのです。


 ですから、「いじめ」を完全になくすためには、世の中がどうあろうと、周りの人がどうあろうと、どのような状況にあっても、自分の努力次第で自分に価値を見い出せる「判断の基準(価値観)」を、世の中の全ての人が持つようにする必要があります。


 大和思想における「人間の存在価値」は、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだして生きる」ところにあります。

「家族」「地域社会」「友人の集まり」「学校」「会社」「国家」「世界」等の、普段自分が関わっている「全体」において、「『その全体をまとめるための働きかけ(その全体を共存共栄の世の中を維持している状態にするための働きかけ)』をして生きる」ところに「人間の存在価値」があります。


 ですから、「大和思想」においては、どれだけ「能力が高い人」「成績がいい人」「容姿がいい人」「裕福な人」「有名な人」「強い権力を持っている人」であっても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」を全くしていなかったら、その人は「価値のない人」になります。

 逆に、どれだけ「能力が低い人」「成績が悪い人」「容姿が悪い人」「貧しい人」「有名でない人」「権力がない人」であっても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ための働きかけ)」をしているなら、その人は「価値ある人」になります。


 大和思想における「人間の存在価値」は、このようなものなので、大和思想を持って生きれば、「子供」「大人」「老人」「男性」「女性」「能力が高い人」「能力が低い人」「裕福な人」「貧しい人」「政治家」「国民」、また「職業」にかかわらず、「文化」にかかわらず、「国籍」にかかわらず、誰でも、自分に価値を見い出すことができますし、「自己肯定感」を高く保つこともできます。

 ですから、世の中の全ての子供を「大和思想のような思想(考え)を持った人間」に育てれば、「自己肯定感」が低いことによって起こる「いじめ」を完全になくすことができるのです。


 また、大和思想を持っている人とは、大和思想の五章(「大和思想を実践する人」のあり方)で説明している次のような人です。

「常に、自ら率先して、普段自分が関わっている『全体』をまとめている」

「常に、あらゆる『恩恵』に心から『感謝』している」

「常に、自分の『運命』を受け入れている」

「常に、『共存共栄の世の中を維持、つくりだす物事』と『共存共栄の世の中を乱す物事』を見分けている」

「『論理的思考能力』を持っている」

「『優先順位の一番』を『世の中全体』にしている(自己犠牲の精神を持っている)」

「『謙譲の精神』を持っている」

「『優しさ』と『厳しさ』を持っている」

「『勇気』と『精神的強さ』を持っている」

「常に『平常心』を保っている」

「常に『向上心』を持っている」

「常に『真剣さ』を持っている」

「常に『健康』を維持している」


 また、大和思想を実践している人とは、大和思想の六章で説明している、次の「人間関係のあり方(ルール)」に従っている人です。

「相手を『尊重』する」

「常に『気遣い』をする」

「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」

「男女は互いに『思いやり』を持って接する」

「『親』は『子』をしっかり育てる」「『子』は『親』をしっかり養う」

「『老人』を敬う」


 このような人は「いじめ」などしませんし、「いじめられている人」を見たら助けようとします。

 それだけでなく、常に、積極的に人間関係を「いい状態(互いの尊厳が保たれている状態)」にしようとしますし、実際にそれができるのです。


 これらのことから、共存共栄クラブでは、大和思想が、「『人間関係をいい状態にすること』を当然のこととする思想(考え)」としてふさわしいと考えます。


 大和思想が「唯一絶対のもの」ということではありませんが、「いじめ」を完全になくすためには、全ての子供を、そのような「『人間関係をいい状態にすることを当然のこととする思想(考え)』を持った人間」に育てる必要があるのです。



「いじめ」を完全になくすためには、全ての子供を、「大和思想のような思想(考え)を持った人間」「『人間関係をいい状態にするために必要な能力』を身に付けた人間」に育てる必要がありますが、実際にそうするためには、全ての家庭において、そのための教育をしっかり行なう必要があります。

 つまり、家庭における「道徳教育」をしっかり行なう必要があります。


 人間は、様々な情報や人から、様々な影響を受けて育っていきますが、その中でも、特に、両親から受ける影響は大きいと言われています。

 子供が成人した後に持っている思想、考え方、価値観、趣向等の多くは、両親から強く影響を受けていると言われているのです。


 このように、子供に対する親の影響力は強いので、たとえ、学校で、子供が大和思想のような思想(考え)を持つように、また「『人間関係をいい状態にする』ために必要な能力」が身に付くように教育しても、家庭でそれを否定することを教えたり、親が、それに反する行動をしたりしていたら、子供は、そのような人間になるのが難しくなります。

 逆に、親が自分の子供に、大和思想のような思想(考え)を持つように、「『人間関係をいい状態にする』ために必要な能力」が身に付くように教育すれば、子供がそのような人間に育つ可能性は高まります。


 ですから、「いじめ」を完全になくすためには、全ての家庭において、子供が「大和思想のような思想(考え)を持った人間」「『人間関係をいい状態にするために必要な能力』を身に付けた人間」に育つような「道徳教育」を、しっかり行なう必要があるのです。


 さて、「いじめ」を完全になくすためには、全ての家庭において「道徳教育」をしっかり行なう必要があるのですが、実際にそうするためには、全ての子供を持つ親が、家庭における「道徳教育」の重要性をしっかり理解する必要があります。


 世の中には、「人間は放っておいても育つ」と言う人がいますが、放っておいて育つのは身体だけで、知能や人間性が磨かれ、「社会を構成する一員」として立派に育つわけではありません。

 もちろん、大和思想のような思想(考え)を持つようになったり、「『人間関係をいい状態にする』ために必要な能力」が身に付いたりすることも、基本的にはありません。

 それどころか、世の中には、人間を「自分勝手」「わがまま」「いい加減」「いじわる」等にする情報(悪い影響を与える情報)が溢れているので、それらの影響を受けて、「自分勝手」「わがまま」「いい加減」「いじわる」等になることもあります。


「『人間関係をいい状態にする』ために必要な能力」も、その必要性や重要になるポイントを教え、それが身に付くように教育しなければ、基本的に身に付くことはありません。

 特に子供は、「相手の気持ちを察する能力」「自分の感情をコントロールする能力」等が未発達なので、教育を通じて、そのような能力を身に付けさせなければ、そのような能力を身に付けるのは難しいのです。


 世の中には、「道徳教育」に無関心な親がいますが、「道徳教育」をしっかり行なわないで、自分の子供が「いじめ」をしたら、その責任は親にあります。

「いじめ」がニュースになると、大抵、学校の問題として取り上げられ、学校の責任のみが追求されますが、自分の子供が他の子供をいじめて苦しめているのに、「いじめ」をした子供の親の責任が全く問われないというのは、おかしなことです。

 親は自分の子供に対して、学校や教師より強い影響力を持っていますし、「いじめ」をする子供は未成年なのですから、本来は、親の責任が問われるべきです。

 子供を持つ親は、自分の子供が「いじめ」をしたら、それは、自分がしっかり教育しなかったからだと、つまり、それは自分の責任であると考えるべきなのです。


 日本国憲法の13条に「すべて国民は、個人として尊重される」とありますが、これは、「すべての国民は、他の人を尊重しなければならない」ということでもあります。

 つまり、日本においては、全ての人は、誰と接するときでも、相手を尊重しなければなりませんし、全ての子供を持つ親は、自分の子供を「誰と接するときでも相手を尊重できる人間」に育てなければならないのです。

 自分の子供をそのような人間に育てることは、全ての親の義務です。

 全ての子供を持つ親は、自分に、そのような義務があることを、しっかり理解しなければならないのです。


「いじめ」を完全になくすためには、全ての家庭において「道徳教育」をしっかり行なう必要があります。

また、実際にそうするために、そのようなことをしっかり理解する必要があるのです。



「いじめ」を完全になくすためには、全ての子供を、「大和思想のような思想(考え)を持った人間」「『人間関係をいい状態にするために必要な能力』を身に付けた人間」に育てる必要があり、そのためには、全ての家庭において、そのための「道徳教育」をしっかり行なう必要がありますが、それだけでなく、全ての学校においても、そのための「道徳教育」をしっかり行なう必要があります。


「いじめ」が起こる根本的な「原因」は、「いじめ」をする人が、「『人間関係をいい状態にすること』を当然のこととする思想(考え)」を持っていないからですが、彼らが、そのような「思想(考え)」を持っていない原因は、彼らは、そのような「思想(考え)」を持つようになる「道徳教育」を十分に受けていないからです。

 人間は、成長の過程で様々な情報に接し、様々な影響を受けますが、その中には、いい影響だけでなく、悪い影響もあります。

 ですから、「『人間関係をいい状態にすること』を当然のこととする思想(考え)」を持つようになる教育を十分に受けていなければ、そのような「思想(考え)」を持つようになるのは難しいです。

 ですから、全ての子供を、「大和思想のような思想(考え)を持った人間」「『人間関係をいい状態にするために必要な能力』を身に付けた人間」に育てるためには、家庭においてだけでなく、学校においても、そのための「道徳教育」をしっかり行なう必要があります。


 全ての家庭と全ての学校で、そのための「道徳教育」をしっかり行なえば、より確実に、全ての子供を、「大和思想のような思想(考え)を持った人間」「『人間関係をいい状態にするために必要な能力』を身に付けた人間」に育てることができます。

 日本の場合、基本的に、全ての国民が、6歳から15歳まで義務教育で学校に通うので、学校で、そのための「道徳教育」をすることは、全ての子供をそのような人間に育てる上で、非常に有効なのです。


 さて、人によっては、学校で思想を教えることに抵抗があるかもしれませんが、そもそも、学校では、意図的でなくても、「テストでいい点をとれば『いい子』で、いい点がとれなければ『良くない子』」「規則に従うことは『いいこと』で、従わないことは『悪いこと』」等の考えや価値観を、(それらが正しいかどうかは別として)教えています。

 何かを教えると、それに伴う価値観や思想(考え)も一緒に教えることになるので、意図的でなくても、学校では、常に、様々な価値観や思想(考え)を教えているのです。


 また、中には、キリスト教系の学校や仏教系の学校のように、普通に、その宗教の思想を教えている学校もあります。

 これらのことから分かるように、学校で思想を教えるというのは、常に行なわれていることですし、それ自体は悪いことではないのです。

 重要なのは、どのような思想を教えるかなのです。


 大和思想は、「『共存共栄の世の中(全ての人が幸福を感じられる世の中、全ての人の尊厳が保たれている世の中)を実現させること』を目的に設定している思想」「世の中の全ての人と共に幸福になるための思想」です。

 ですから、むしろ、学校でしっかり教えるべきだと言えます。


 また、大和思想は、日本国憲法の基本原理に合致している思想です。

 日本国憲法において最も重要で、あらゆる憲法上の原理、原則、ひいては、あらゆる法令の目的ともいうべき基本原理と言われているのは、「個人の尊厳の確保」です。


 日本国憲法13条に、「すべて国民は、個人として尊重される」と規定されていますが、これが、日本国憲法の基本原理の根拠規定と考えられているのです。

 日本国憲法を含めた全ての日本の法令は、「個人の尊厳の確保」を目的としているのです。


 このように、日本国憲法の基本原理は「個人の尊厳の確保」であり、大和思想は「『共存共栄の世の中(全ての人が幸福を感じられる世の中、全ての人の尊厳が保たれている世の中)を実現させること』を目的に設定している思想」なので、このことから、「大和思想は、日本国憲法の基本原理に合致している」と言えるのです。


 また、大和思想は、教育基本法にも合致しています。

 教育基本法には、次のようにあります。

(教育の目的)

第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行なわれなければならない。

(教育の目標)

第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。


 この教育基本法と、大和思想を照らし合わせれば、大和思想が、教育基本法にも合致していることが分かります。


 大和思想は、「『世の中の全ての人が、自ら率先して、普段自分が関わっている全体(家族、地域社会、友人の集まり、学校、会社、国家、世界等の集団や組織)をまとめること』によって『共存共栄の世の中』を実現させ、世の中の全ての人と共に『幸福』になる」という思想です。


 ※大和思想における「共存共栄の世の中」とは、「人間」「動物」「植物」等、「『世の中に存在する全ての生物』が共に生き、共に栄える世の中」「『世の中に存在する全ての生物』の『尊厳』が保たれている世の中(全ての生物が、『価値ある存在』『尊い存在』として、認められ、大切にされている世の中)」のことです。


 また、大和思想では、「大和思想を実践する人のあり方」として、次のことを説明しています。

「常に、自ら率先して、普段自分が関わっている『全体』をまとめている」

「常に、あらゆる『恩恵』に心から『感謝』している」

「常に、自分の『運命』を受け入れている」

「常に、『共存共栄の世の中を維持、つくりだす物事』と『共存共栄の世の中を乱す物事』を見分けている」

「『論理的思考能力』を持っている」

「『優先順位の一番』を『世の中全体』にしている(自己犠牲の精神を持っている)」

「『謙譲の精神』を持っている」

「『優しさ』と『厳しさ』を持っている」

「『勇気』と『精神的強さ』を持っている」

「常に『平常心』を保っている」

「常に『向上心』を持っている」

「常に『真剣さ』を持っている」

「常に『健康』を維持している」


 また、大和思想では、「人間関係のあり方(ルール)」として、次のことを説明しています。

「相手を『尊重』する」

「常に『気遣い』をする」

「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」

「男女は互いに『思いやり』を持って接する」

「『親』は『子』をしっかり育てる」「『子』は『親』をしっかり養う」

「『老人』を敬う」


 これらを読めば分かるように、大和思想は、教育基本法にも合致しているのです。


 このように、大和思想は、日本国憲法の基本原理にも、教育基本法にも合致している思想なのです。

 ですから、学校で大和思想を教えることは、何の問題もありませんし、むしろ、積極的に教えるべきだと言えるのです。


 さて、ここで説明したように、「いじめ」を完全になくすためには、全ての家庭においてだけでなく、全ての学校においても、そのための「道徳教育」をしっかり行なう必要があるのです。


 家庭における「道徳教育」、学校における「道徳教育」と言うと、それぞれ別のもののように思うかもしれませんが、「子供を『社会を構成する一員』として立派に育てる」という意味では、どちらも同じ「道徳教育」です。

 家族は、家庭でできることを通じて、子供をしっかり育てる。学校は、学校でできることを通じて、子供をしっかり育てる。


「いじめ」を完全になくすためには、このような発想で、家庭と学校が協力して「道徳教育」をする必要があるのです。



「いじめ」を完全になくすためには、家庭における「道徳教育」と学校における「道徳教育」をしっかり行なう必要がありますが、「メディアのあり方」を正すことも必要です。

 ここで言う「『メディアのあり方』を正す」とは、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、本、インターネット、映画等、一般に広く普及している情報伝達媒体からは、「『いじめをする人間』に導く情報」は流さず、「『人間関係をいい状態(互いの尊厳が保たれている状態)にすることを当然のこととする思想(考え)を持った人間』に導く情報」をたくさん流すようにするということです。


 現代においては、ほとんど全ての人が、毎日、何らかのメディアを利用し、様々な情報に接していますが、全ての人は、意識していなくても、それらの情報から、何らかの影響を受けています。


 例えば、テレビで、ハンバーガーをおいしそうに食べているのを見ると、食欲が湧いてきたり、快適に格好よく車を運転しているのを見ると、自分も車が欲しくなったり、雑誌で有名人の髪型や服装が紹介されているのを見ると、同じ髪型や服装をしたくなったり、悲惨な事件や事故の記事を見ると、悲しくなったり、不安になったりします。

 また、意識していなくても、テレビや映画やマンガで表現されている言葉遣いや立ち居振る舞いをするようになったり、これが普通、常識、正しいと表現されているのを見て、それが普通、常識、正しいと思うようになったりします。


「情報に接する」ということは、「その情報が頭に入る」ということなので、自分の意志とは関係なく、欲が刺激されて湧いてきたり、今まで持っていなかった観点や概念を持つようになったり、忘れていた記憶が甦ったりします。

 つまり、全ての人は、関心がない情報であっても、自覚していなくても、接した情報から、何らかの影響を受けているのです。

 同じ情報でも、人によって受ける影響は違いますし、受ける影響の程度には個人差がありますが、いずれにしろ、全ての人は接した情報から、何らかの影響を受けているのです。


 さて、全ての人は、接する情報から何らかの影響を受けるので、当然、子供が「いじめ」につながる情報に接し、その影響で「いじめ」をするようになることもあります。

 例えば、テレビで、人の顔の特徴を笑いのネタにしたり、相手に暴力を振るったり、相手の持ち物を隠したり、相手をおとしめる噂を広めたりするのを見て、周りの人に同じことをするようになることもあるのです。


 人間がメディアから受ける影響について書かれた本に、「性、暴力、メディア~マスコミの影響力についての真実~」(H・アイゼンク D・ナイアス 新曜社)があります。

 彼らは、様々な研究の結果、「マス・メディアにおけるセックスと暴力の描写は、視聴者の態度と行動に影響を与えることが証拠によってはっきりと示されている」という結論に達しました。


 その本の一部を抜粋します。

 新しい行動は、一部には、他者を模写することによって獲得される。はっきりした例は、子供たちによるバットマンのようなテレビの登場人物の模倣である。
 ある研究では、親の七一%が、子供たちは、たとえばテレビの登場人物の俗語的言い回しやアクセントを用いるなどして、模倣をしている、と報告した。

 子供たちの同じような調査によると、六〇%が自発的にテレビの登場人物の真似をしたことを認めた。

 ときどき、このことが悲劇的な結果をまねく。「良いこと悪いこと醜いこと」というテレビショーをみたあとで、十二歳の少年が、庭にある小屋の中で首つりシーンを再現した。しかし彼が立っていた段ボール箱がつぶれて、首つりごっこは失敗し、木の梁に宙ぶらりんになって意識不明のところを発見された。

 もう一つの例は、ナイフをもって、隣家に侵入し、寝室でねていた女性を襲った十六歳の男の子である。この犯罪は、少年が数時間前に見たばかりの「刑事スタスキー&ハッチ」の挿話をほとんどそのまま反復したものであった。

 六歳から七歳までの三六名の子供たちが、八分間、暴力漫画、中性漫画のいずれをみるか、何もみなかった。暴力漫画郡は風船を破裂させようとする衝動を最も多く表す傾向にあった。

 四歳から六歳までの保育園児二○名が、五分間の暴力漫画か中性漫画をみた。そのあとで、「機械じかけ」の動く玩具をいじる機会を与えられたとき、暴力漫画をみた子供たちは、攻撃的な玩具を選ぶ傾向を示した。

 約五歳の男の子三○名と、女の子三〇名が、プラスチックの人形をたたいているモデルが登場する映画を八分間みた。モデルがおとなであれ、同年齢の子供であれ、また男性であれ女性であれ、中性映画に比べて、模倣が生じやすいことがわかった。六ヶ月後に、子供たちが、その攻撃行動をどのくらい保持しているかを検査したときにも、模倣が生じた。

 約六歳の労働者階級の男の子三二名が、モデルが攻撃行動をする映画を示された。上映直後に検査されたときにも、一週間後に検査されたときにも、中性映画に比べて、模倣が生じやすかった。モデルの攻撃行動は、四ヶ月か五ヶ月のちにも保持されていた。

 第一の犯例は、一九七三年七月に、イギリスの男子生徒が引き起こした殺人事件に対する公判である。彼は、「時計じかけのオレンジ」という映画のシーンを現実生活場面でかなり忠実に実行し、何の罪もない年老いた浮浪者をひどく乱打して殺してしまった。少年は、その映画にひどく心を奪われ、こうして高まった殺意の衝動が映画によって方向を与えられて、殺人者となった。

 この少年を尋問した弁護人、検察官、精神科医は、その映画がこの殺人事件で重要な役割を果たしたことに意見が一致した。この少年は、アルコール類をのんでいなかったし、いかなる精神病にもかかっていなかった。攻撃の凶暴さと残酷さは想像を絶するほどのものであった。殺人後も、およそ感情とか罪悪感を全く欠いていたこともまた驚くべきほどであった。
 彼の行為は、特定の映画をみることに伴う脱感作とモデリングの組み合わせをみごとに例示している。
 この映画は、同じような犯罪をその後も続出させた。一九七六年五月、スコットランドの主導的弁護士のひとりであるハーバード・S・ケリガンは「『時計じかけのオレンジ』をみたことによって引き起こされた」、前年度に発生した同じような三つの殺人公判のことを述べている。

 イギリスで「エクソシスト」が上映されたことによって、悲劇と精神崩壊が引き続くところとなった。
  
一例だけあげるならば、ローストフトで、ある男が一一歳の女の子に性的暴行を加えたことを自白した。それはなんと、その映画を上映している映画館を去って、数時間足らず後の出来事であった。女の子に対する彼の行動は、映画館で上映されたいくつかのシーンを反映していたことが法廷で述べられた。

 もっと直接的な映画の影響は、「オーメン」という映画に関する判例に示唆される。この映画には、子守りがのどをさされる流血シーンがある。
 映画館でこの映画が上映されて三十分後に、地方の私営馬券売り場の支配人が、のどをさされて死んだ。その映画をみたある男が、映画ときわめて似たやり方で、その日の売り上げを奪い、彼をナイフでさしたのである。

 他の法廷判例は、犯罪の促進に対するテレビの果たす役割を示している。

「カラマゾフの兄弟」には、父親が息子のひとりによってたたかれ死ぬシーンがある。この映画をテレビでみたあとで、一七歳のある男の子が肉切りほうちょうを用いて、睡眠中の父親を襲った。数時間に及ぶ神経外科手術によって、父親の命はやっととりとめられた。
 その少年は、警察に次のようなことを述べたと報告されている。「僕がテレビをみていると、ときどき殺してやりたいと思っていたことにピッタリで、ああやればうまくいくと思ったのです」

 一五歳の女の子が「刑事スタスキー&ハッチ」からアイディアを得て、自家用車のブレーキパイプを切って両親を殺そうとした。この試みはうまくいかなかった。彼女が学校から帰宅するとき、両親が彼女を家に自動車で連れて帰るために待っているのを知ってぎょっとしたというわけである。殺人を試みた前の週に、その子は、アガサ・クリスティーとアルフレッド・ヒチコックの小説を読んで、犯罪小説にふけるようになっていたと報告された。

 テレビ番組における強盗行為は、非常にたやすく実行できるように思われたので、二名の視聴者が自分でもやってみることにした。番組が終わったのちに外出して、「全く同じ」家屋侵入を行なった。彼らは新聞受けの新聞に注目することにより留守の家をみいだし、裏の窓から家の中に侵入した。
 しかし番組のようにはどうもうまくいかなかった。彼らがまだ家の中にいるときに、その家の主婦が戻ってきた。彼らのうちのひとりは警官に「『Z・カー』でどうやったかみたんだ。で、やってみることにした。すごく簡単にやれそうだった」と告げたことが法廷で報告された。


 これらのことから分かるように、子供がメディアを通じて「いじめ」につながる情報に接し、その影響で「いじめ」をするようになる可能性は、十分にあるのです。

 さらには、犯罪につながる情報に接し、犯罪を犯すようになる可能性も十分にあるのです。


 さて、全ての人は、接する情報から何らかの影響を受けるのですが、「悪い影響」だけでなく「いい影響」も同じように受けます。

「性、暴力、メディア~マスコミの影響力についての真実~」には、次のようなことも書かれています。

 スプラフキンたちは、テレビの「名犬ラッシー」の中の一つのエピソード(そのエピソードでは、少年がわなにかけられた仔犬をラッシーがみつけるのを助けた)を、別の名犬ラッシーのエピソードおよび喜劇「ブレーディと仲間たち」のエピソードと関連させて、その効果を調べた。
 それら三つの三十分間番組の一つを、六歳から七歳までの子どもたち三十名にみせた。ついで子どもたちに賞を求めて互いに争うゲームを与え、同時に、イヤホーンを与えて、実験者がさがしていることになっている仔犬の鳴き声をきいたらボタンを押して援助を求めるように子どもたちに言った。
 その結果が示すところによると、名犬ラッシーの「順社会的」エピソードをみた子どもたちは、「援助」ボタンを根気強く押して、賞を得るチャンスを犠牲にすることが、他の二郡のいずれよりも多かった。
 今後の研究は、愛他行動にもっと導きやすい番組はどんなタイプのものかについていっそう確かめることが良いであろう。


 このように、人間は、メディアから「悪い影響」だけでなく「いい影響」も受けるのです。

 ですから、単純に言うと、一般に広く普及しているメディアから、「『人間関係をいい状態にすることを当然のこととする思想(考え)を持った人間』に導く情報」をたくさん流せば、世の中の多くの人が、そのような人間になり、逆に、「『いじめをする人間』に導く情報」をたくさん流せば、世の中の多くの人は、「いじめ」をするようになるのです。


 現代は、ほとんどの人が、毎日メディアに接しています。

 ですから、「いじめ」を完全になくすためには、一般に広く普及しているメディアからは、「『いじめをする人間』に導く情報」は流さず、「『人間関係をいい状態(互いの尊厳が保たれている状態)にすることを当然のこととする思想(考え)を持った人間』に導く情報」をたくさん流す必要があります。

 全ての人が、自分の意志で、「『いじめをする人間』に導く情報」を避けることができれば、それが一番いいのですが、一般の人は専門知識がないので、常にそうすることはできません。

 また、接する情報が、明らかに「『いじめをする人間』に導く情報」であれば、自分の意志で避けることができるかもしれませんが、多くの場合、いわゆる普通の情報の中に、そのような情報が混ざっています。

 ですから、「いじめ」を完全になくすためには、一般に広く普及しているメディアからは、「『いじめをする人間』に導く情報」は流さず、「『人間関係をいい状態(互いの尊厳が保たれている状態)にすることを当然のこととする思想(考え)を持った人間』に導く情報」をたくさん流す必要があるのです。

 つまり、「『メディアのあり方』を正す」必要があるのです。


「『メディアのあり方』を正す」と言うと、「表現の自由が失われる」と言う人がいるかもしれませんが、そもそも、「いじめ(他の人の尊厳を損なう行為)」を助長する表現を認めるわけにはいきません。

 社会の中で生活している以上は、全ての人は、個人の自由より、社会全体のまとまりを優先させなければなりません。

 日本国憲法にも、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り(公益及び公の秩序に反しない限り)、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と明記されています。

 表現の自由は、あくまで、「公共の福祉に反しない限り(公益及び公の秩序に反しない限り)」認められていることなのです。

 つまり、日本においては、「いじめ(他の人の尊厳を損なう行為)」を助長する表現は認められていないのです。


 現代は、ほとんど全ての人が、毎日、何らかのメディアを利用し、様々な情報に接していますが、意識していなくても、それらの情報から、何らかの影響を受けています。

 ですから、「いじめ」を完全になくすためには、一般に広く普及しているメディアからは、「『いじめをする人間』に導く情報」は流さず、「『人間関係をいい状態(互いの尊厳が保たれている状態)にすることを当然のこととする思想(考え)を持った人間』に導く情報」をたくさん流す必要があるのです。



 共存共栄クラブでは、「いじめ」を、共存共栄の世の中を実現させ、維持する妨げとなる重大な問題と捉え、その「原因」と「解決策」について考えています。


 共存共栄クラブが考える「いじめ」が起こる根本的な「原因」は、「いじめ」をする人が、「『人間関係をいい状態にすること』を当然のこととする思想(考え)」を持っていないからです。

 また、「いじめ」を完全になくすための「解決策」は、全ての子供を「大和思想のような思想(考え)を持った人間」「『人間関係をいい状態にするために必要な能力』を身に付けた人間」に育てることです。

 そして、そのために必要なことは、家庭における「道徳教育」をしっかり行なうこと、学校における「道徳教育」をしっかり行なうこと、「メディアのあり方」を正すことです。


「いじめ」がニュースになるときは、大抵「学校の『いじめ』への対応の悪さ」や「教師の子供への接し方の悪さ」が取沙汰されます。

「いじめ」を完全になくす上で、それらを改善するのは当然ですが、最も重要なことは、子供を「いじめをしない人間」に育てることです。


「いじめをする子供」がたくさんいる中で、教師が目を光らせることによって「いじめ」を完全になくそうとしても、それはできません。

 子供は、教師にバレないように「いじめ」をします。ですから、これだけ「いじめ」が起きているのですし、自殺にまで至るケースがあるのです。


 また、そもそも「いじめ」が起きてからそれに対処するという発想は、「いじめ」を完全になくす発想ではありません。

「いじめ」を完全になくすためには、対処より予防が必要です。

 つまり、全ての子供を「いじめをしない人間」に育てることが必要なのです。

 その上で、教師や保護者や地域住民等が「いじめ」の把握に努め、それがあったときには、適切に対処する必要があるのです。


「いじめ」を完全になくすためには、保護者、学校、地域住民等が、これらのことを理解し、協力して、全ての子供を「大和思想のような思想(考え)を持った人間」「『人間関係をいい状態にするために必要な能力』を身に付けた人間」に育てる必要があるのです。


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