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常に、「共存共栄の世の中を維持、つくりだす物事」と「共存共栄の世の中を乱す物事」を見分けている

大和思想 五章  常に、「共存共栄の世の中を維持、つくりだす物事」と「共存共栄の世の中を乱す物事」を見分けている


「大和思想を実践している人」は、常に、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだす物事」と「『共存共栄の世の中』を乱す物事」を見分けています。



「『大和思想を実践する人』のあり方」の「根本」は、「常に、自ら率先して、普段自分が関わっている『全体』をまとめていること」ですが、実際に、そうするためには、「常に、『共存共栄の世の中を維持、つくりだす物事』と『共存共栄の世の中を乱す物事』を見分けている」必要があります。


 世の中には、「正しい情報」だけでなく「間違った情報」もありますし、「いい人」だけでなく「悪い人」もいます。

 また、「一見、『共存共栄の世の中を維持、つくりだしている』ように見えて、実際は、『共存共栄の世の中を乱している』物事」、また、その逆の「物事」もあります。

 ですから、常に、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだす物事」と「『共存共栄の世の中』を乱す物事」を見分けていなければ、「常に、自ら率先して、普段自分が関わっている『全体』をまとめること」はできないのです。

 ですから、「大和思想を実践している人」は、常に、それらを見分けているのです。



 さて、「大和思想を実践している人」は、「常に、『共存共栄の世の中を維持、つくりだす物事』と『共存共栄の世の中を乱す物事』を見分けている」のですが、実際に、そうするためには、それらを見分けるための「判断の基準」を、明確に持っている必要があります。


 この「判断の基準」とは、「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を維持、つくりだすこと』につながっているのか、それとも、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっているのか」という「観点」のことです。

 どのような「物事」でも、この「判断の基準」に照らし合わせて考えれば、つまり、「それは、直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を維持、つくりだすこと』につながっているのか、それとも、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっているのか」を考えれば、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだす物事」なのか、「『共存共栄の世の中』を乱す物事」なのかが分かります。


「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を維持、つくりだすこと』につながっている」なら、それは、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだす物事」です。

 逆に、「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっている」なら、それは、「『共存共栄の世の中』を乱す物事」です。


 たとえ、一般的には「普通」と言われている「生き方」「考え方」、「必要」と言われている「社会のルール」「工業製品」であっても、「最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっている」なら、それは「『共存共栄の世の中』を乱す物事」です。

 逆に、一見「非常識」と思える「考え」「言動」、「不必要」と思える「政策」「社会活動」であっても、「最終的に『共存共栄の世の中を維持、つくりだすこと』につながっている」なら、それは「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだす物事」なのです。


 このように、「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を維持、つくりだすこと』につながっているのか、それとも、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっているのか」という「観点」を「判断の基準」にして考えれば、「『共存共栄の世の中』を維持、つくりだす物事」と「『共存共栄の世の中』を乱す物事」を見分けることができるのです。


 ですから、「大和思想を実践している人」は、常に、この「判断の基準」を持ち、あらゆる「物事」を、この「判断の基準」に照らし合わせて見ています。

「人間のあり方、考え方、言動、服装、言葉遣い、立ち居振る舞い」「会社や商品のあり方」「メディアが発信している情報や表現のあり方」、「政治家の発言、行動、掲げている政策」「事件」「経済のあり方」「社会のあり方」「国家のあり方」、その他全ての「物事」を、この「判断の基準」に照らし合わせて見ています。

 そして、たとえ、それが一般的には「普通」「正しい」「常識」と言われているものであっても、「それは、直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を維持、つくりだすこと』につながっているのか、それとも、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっているのか」を考え、それらを見分けているのです。


 常に、このようにしていれば、世の中の全ての「物事」を見分けることができます。

 また、常に、このような見方をしていれば、普段自分が関わっている「全体」の状況が「少しずつ悪くなっていく」ときに、その「微妙な変化」を察知することもできるのです。

 ですから、「大和思想を実践している人」は、常に、この「判断の基準」を持っているのです。

 そして、「常に、『共存共栄の世の中を維持、つくりだす物事』と『共存共栄の世の中を乱す物事』を見分けている」のです。


「『大和思想を実践する人』のあり方」の「根本」は、「常に、自ら率先して、普段自分が関わっている『全体』をまとめていること」ですが、常に、そうしているためには、「常に、『共存共栄の世の中を維持、つくりだす物事』と『共存共栄の世の中を乱す物事』を見分けている」必要があるのです。

 ですから、「大和思想を実践している人」は、常に、それらを見分けているのです。


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