「共存共栄実現プロジェクト4」で説明したように、「共存共栄の世の中」を実現させるためには、世界の多くの人が、「共存共栄の世の中を維持して生きる」という「思想」を持って生きる必要があるのですが、実際に、そのような状況をつくりだすためには、「共存共栄の世の中を維持して生きる」という「思想」を、積極的に、世界に広める必要があります。
なぜなら、何の働きかけもしなければ、その「思想」が世界に広まることはありませんし、「共存共栄の世の中を維持して生きる」という「思想」を持って生きる人が、増えることもないからです。
また、この「共存共栄の世の中を維持して生きる」という「思想」ですが、これは、「唯一絶対の思想」があるわけではありません。
「共存共栄の世の中を維持して生きる」というところさえ押さえていれば、どのような「思想」でもいいのです。
つまり、「共存共栄の世の中を維持して生きる」という「思想」には、様々なものがあるのです。
これから紹介する「大和思想」(やまとしそう)」も、その中の一つで、「共存共栄の世の中を維持して生きる」というところを、しっかり押さえた「思想」です。
私は、この「大和思想」を世界に広めることが、「共存共栄の世の中」を実現させる上で、非常に有効だと考えています。
なぜなら、「大和思想」は、「世界は、共存共栄の世の中であるべきである(全ての人が幸せを感じられる状態であるべきである)」という考えを基にし、そこから、「共存共栄の世の中を成り立たせるためには、人間は、どのような生き方をする必要があるか」「どのような考えや観点を持つ必要があるか」「どのような資質を身に付ける必要があるか」「人と接するときは、どのようなことを意識して接する必要があるか」等を考え、体系化されたものなので、説明していること全てが「共存共栄の世の中」につながっていて、矛盾がなく、実用的だからです。
「大和思想」の簡単な説明は、次のとおりです。
「大和思想」は、「『世の中の全ての人が、自ら率先して、普段自分が関わっている全体をまとめること』によって、『共存共栄の世の中』を実現させ、世の中の全ての人と共に『幸福』になる」という「思想」です。
「大和思想」の目的は、「世の中の全ての人と共に幸福になること」です。
また、それを実現させるための手段は、世の中の全ての人が、自ら率先して、普段自分が関わっている「全体(家族、地域社会、友人の集まり、学校、会社、国家、世界等の、普段自分が関わっている集団、組織)」をまとめること(「共存共栄の世の中を維持している状態」にすること)です。
世の中の全ての人が、自ら率先して、普段自分が関わっている「全体(家族、地域社会、友人の集まり、学校、会社、国家、世界等の、普段自分が関わっている集団、組織)」をまとめる(「共存共栄の世の中を維持している状態」にする)。
そうすることによって、「共存共栄の世の中」が実現し、維持される。
そして、「共存共栄の世の中」が実現し、維持されることによって、世の中の全ての人が幸福になる。
これが、「大和思想」の理論です。
また、「大和思想」は、「世界は、共存共栄の世の中であるべきである(全ての人が幸せを感じられる状態であるべきである)」という考えを基にしているので、「大和思想」における「正しいこと(いいこと)」と「間違っていること(悪いこと)」は、次のように明確です。
「正しいこと(いいこと)」=「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中』を実現させる行為、維持する行為」
「間違っていること(悪いこと)」=「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中』を乱す行為」
例えば、「物を盗むこと」や「人を殺すこと」は、誰でも「悪いこと(間違っていること)」だと考えますが、「大和思想」においては、その理由は、「それらは『共存共栄の世の中を乱す行為』だから」です。
もし、「物を盗むこと」や「人を殺すこと」が、「悪いこと(間違っていること)」ではなく、「いいこと(正しいこと)」、もしくは「やってもいいこと」であるなら、いたるところで「盗難」や「殺人」が起こり、「共存共栄の世の中」は乱れます。
そして、多くの人が、「幸せ」を感じることができなくなります。
ですから、それらは「悪いこと(間違っていること)」なのです。
同じように、「自分勝手な行動」「わがままな生き方」「人を騙すこと」「約束を破ること」「人に悪い影響を与えること」「公序良俗に反する行為、服装をすること」「環境を破壊すること」「動植物をむやみに殺すこと」等も、「共存共栄の世の中を乱す行為」だから「悪いこと(間違っていること)」なのです。
それらを少し行なっただけでは、「共存共栄の世の中」は乱れません。
ですが、多くの人が、それらを行なったら、「共存共栄の世の中」は確実に乱れます。
そして、「共存共栄の世の中」が乱れてしまったら、多くの人が、「幸せ」を感じることができなくなるのです。
ですから、それらは「悪いこと(間違っていること)」なのです。
逆に、「協調性を持って人に接すること」「『家族』『会社』『国家』等における『自分の役割』をしっかり果たすこと」「困っている人を助けること」「子供をしっかり育てること」「『社会全体のこと』を考えて行動すること」「動植物をむやみに殺さないこと」等は、「いいこと(正しいこと)」です。
それらを少し行なっただけで、「共存共栄の世の中」が実現するわけではありません。
ですが、それらの行為は、少なからず、「共存共栄の世の中を実現させ、維持すること」に、つながっています。
つまり、それらは、少なからず、「世の中の全ての人を『幸せ』にすること」に、つながっているのです。
ですから、それらは「いいこと(正しいこと)」なのです。
また、「大和思想」においては、「正しいこと(いいこと)」と「間違っていること(悪いこと)」が明確なので、それらを見分けるための「判断の基準」も明確です。
それらを見分けるための「判断の基準」は、「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を実現させること、維持すること』につながっているのか、それとも、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっているのか」という観点のことです。
この観点を「判断の基準」にして考えれば、「正しいこと(いいこと)」と「間違っていること(悪いこと)」を見分けることができます。
「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を実現させること、維持すること』につながっている」なら、それは「正しいこと(いいこと)」です。
逆に、「直接的、間接的にかかわらず、最終的に『共存共栄の世の中を乱すこと』につながっている」なら、それは、「間違っていること(悪いこと)」です。
たとえ、「一般的には、普通、常識と言われている行為」でも、「周りのみんながやっている行動」でも、最終的に「共存共栄の世の中を乱すこと」につながっているなら、それは、「間違っていること(悪いこと)」です。
逆に、「一見、非常識と思われる行為」「変わっている行為」「誰一人やっていない行動」でも、最終的に「共存共栄の世の中を実現させること、維持すること」につながっているなら、それは、「正しいこと(いいこと)」なのです。
また、「大和思想」は、「世界は、共存共栄の世の中であるべきである(全ての人が幸せを感じられる状態であるべきである)」という考えに基づいているので、「大和思想」における「人間の存在価値」は、「『共存共栄の世の中』を実現させる働きかけ、維持する働きかけ」をして生きるところにあります。
つまり、「家族」「地域社会」「友人の集まり」「学校」「会社」「国家」「世界」等の、普段自分が関わっている「全体」において、「『自ら率先して、その全体をまとめるための働きかけ(その全体を共存共栄の世の中を維持している状態にするための働きかけ)』をして生きる」ところに、「人間の存在価値」があります。
ですから、「大和思想」においては、どれだけ「能力が高い人」「成績がいい人」「容姿がいい人」「裕福な人」「有名な人」「強い権力を持っている人」であっても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中』を実現させる働きかけ、維持する働きかけ)」を全くしていなかったら、その人は、「価値のない存在」となります。
逆に、どれだけ「能力が低い人」「成績が悪い人」「容姿が悪い人」「貧しい人」「有名でない人」「権力がない人」であっても、「『普段自分が関わっている全体をまとめる』ための働きかけ(『共存共栄の世の中』を実現させる働きかけ、維持する働きかけ)」をしているなら、その人は、「価値ある存在」となります。
また、このようなことから、「大和思想」においては、「『共存共栄の世の中』を実現させる働きかけ、維持する働きかけ」をして生きているなら、誰にでも「存在価値」があります。
「子供」「大人」「老人」「男性」「女性」「能力が高い人」「能力が低い人」「裕福な人」「貧しい人」「政治家」「国民」、また「職業」にかかわらず、「文化」にかかわらず、「国籍」にかかわらず、全ての人に「存在価値」があるのです。
そして、これが、「大和思想」における「人間の存在価値」なので、「大和思想」を持って生きれば(実践して生きれば)、誰でも「自分の存在価値」を実感することができます。
人間が幸福を感じる上で、「自分の存在価値」を実感できることは、とても重要ですが、「大和思想」を持って生きれば(実践して生きれば)、誰でも一生、「自分の存在価値」を実感することができるのです。
※これらの詳細を知りたい方は、「大和思想の一章」をご覧ください。→ 大和思想 一章
また、「共存共栄の世の中」を成り立たせるためには、世の中の全ての人が、誰と接するときでも、「共存共栄の世の中」を成り立たせることができるような接し方をする必要があります。
このような考えから、「大和思想」では、次のことを「人間関係のあり方(ルール)」として説明しています。
○相手を「尊重」する
○常に「気遣い」をする
○「年長者」は「年少者」をいたわり、導く 「年少者」は「年長者」に素直に従う
○男女は互いに「思いやり」を持って接する
○「親」は「子」をしっかり育てる 「子」は「親」をしっかり養う
○「老人」を敬う
※これらの詳細を知りたい方は、「大和思想の六章」をご覧ください。→ 大和思想 六章
また、「大和思想」では、「共存共栄の世の中」を維持して生きる上で必要となる考え、観点、資質等として、次のことを説明しています。
○常に、あらゆる「恩恵」に心から「感謝」する
○常に、自分の「運命」を受け入れる
○常に、「共存共栄の世の中を維持、つくりだす物事」と「共存共栄の世の中を乱す物事」を見分ける
○論理的思考能力
○優先順位の一番を「世の中全体」にする(自己犠牲の精神を持つ)
○謙譲の精神
○「優しさ」と「厳しさ」
○「勇気」と「精神的強さ」
○平常心
○向上心
○真剣さ
○健康
※これらの詳細を知りたい方は、「大和思想の五章」をご覧ください。→ 大和思想 五章
さて、これが「大和思想」の簡単な説明です。
世界が「共存共栄の世の中」であるためには、世界の多くの人が、「共存共栄の世の中を維持して生きる」という「思想」を持ち、そのような生き方をする必要があります。
また、実際に、そのような生き方をするためには、そのために必要な考え、観点、資質等を理解し、それらを身に付ける必要があります。
そして、そのためには、「大和思想」のような、体系的に、明確に説明された「思想」が必要になります。
「共存共栄の世の中」を維持して生きようと思っても、「何をすればいいか」「どのようにすればいいか」「どのような点に注意すればいいか」等が分からなければ、それを実践することはできません。
「大和思想」は、そのような問題に対処するためにつくられた「思想」なので、「共存共栄の世の中」を維持して生きるための指針として、非常に有効なのです。
私は、このような理由から、「共存共栄実現プロジェクト5」として、「大和思想を世界に広めること」を提案しているのです。
ところで、「大和思想を、積極的に世界に広める」と言うと、それは、突拍子もない、大それたことのように思うかもしれませんが、このようなことは、現代においては、特別なことではありません。
むしろ、とても重要なことであり、一部では、積極的に行なわれていることです。
2013年開催の、ユネスコの第37回総会で決定された「中期戦略(2014~2021年):37C/4」には、
「戦略目標2:学習者の創造性及びグローバル・シチズン(世界市民)としての責任の強化」
「戦略目標6:包摂的社会開発の支援。文化の関係改善のための文化間対話の促進及び倫理原則の推進」
という項目があります。
ここに書いてある「グローバル・シチズン(世界市民)としての責任の強化」と「文化の関係改善のための文化間対話の促進及び倫理原則の推進」とは、まさに、「共存共栄実現プロジェクト4」の、「世界の全ての人が『共存共栄の世の中を維持して生きる』という『思想』を持って生きるようにする」ということであり、具体的には、「大和思想のような生き方をすること」だと言えます。
現在は、国連主導でSDG’sが進められていますが、それが実現できるかどうかは、結局は、世界の多くの人の「人間性」と「生き方」にかかっています。
これは、当然すぎるほど、当然のことです。
ユネスコで、「グローバル・シチズン(世界市民)としての責任の強化」と「文化の関係改善のための文化間対話の促進及び倫理原則の推進」が行なわれているのが、何よりの証拠なのです。
「共存共栄の世の中」を実現させるためには、世界の多くの人が、「共存共栄の世の中」を成り立たせることができる生き方をする必要があります。
そして、そのためには、世界の多くの人が、そのために必要な考え、観点、資質等を理解し、それらを身に付ける必要があります。
そして、そのためには、そのような生き方を、体系的に、明確に説明した「思想」が必要になるのです。
「大和思想」は、まさに、そのためにつくられた「思想」なのです。
ですから、私は、「大和思想」を積極的に世界に広めることを、提案しているのです。