大和思想 一章 「大和思想」における「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」
世の中の全ての人は、普段の生活の中で、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を見分け、「悪いこと(間違っていること)」をしないようにしていますが、ほとんどの人は、何が「いいこと(正しいこと)」で、何が「悪いこと(間違っていること)」なのかを明確に理解していません。
ほとんどの人は、それらを明確に理解していないまま、それらを判断しているのです。
ですが、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を明確に理解していなかったら、「いいこと(正しいこと)」だと思ってやったことが、実は「悪いこと(間違っていること)」であったり、悪気はないのに、気付かずに「悪いこと(間違っていること)」をしてしまったりすることがあります。
また、誰かが「悪いこと(間違っていること)」をして、それを注意するときに、「それをやってはいけない理由」を明確に説明することができません。
ですから、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を明確に理解することは、実際は、とても重要なことだと言えます。
普段自分が関わっている「全体(集団、組織)」をまとめる(「共存共栄の世の中を維持している状態」にする)上でも、「自分の『尊厳』を保つ(『自分が価値ある存在、尊い存在として、認められ、大切にされている状態』を保つ)」上でも、とても重要なことだと言えるのです。
つまり、人間が「幸福」になる上で、とても重要なことだと言えるのです。
さて、このように、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」を明確に理解することは、とても重要なことなのですが、実際に「いいこと(正しいこと)」「悪いこと(間違っていること)」とは、どのようなことを言うのでしょう?
「大和思想」は、「世の中の全ての人と共に『幸福』になること」を「目的」に設定しています。
また、「大和思想」では、「『世の中の全ての人と共に幸福になる』ためには、世の中は『共存共栄の世の中』である必要がある」と考えます。
ですから、先ほど説明したように、「大和思想」においては、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を維持、つくりだす物事」が「価値ある物事」で、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す物事」が「価値のない物事」です。
そこから導き出すと、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を維持、つくりだす行為」が「いいこと(正しいこと)」になります。
そして、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す行為」が「悪いこと(間違っていること)」になります。
例えば、「物を盗むこと」や「人を殺すこと」は、誰でも「悪いこと(間違っていること)」だと考えますが、「大和思想」においては、その理由は、「それらは『共存共栄の世の中(世の中の調和)を乱す行為』だから」です。
もし、「物を盗むこと」や「人を殺すこと」が、「悪いこと(間違っていること)」ではなく、「いいこと(正しいこと)」、もしくは「やってもいいこと」であるなら、いたるところで「盗難」や「殺人」が起こり、「共存共栄の世の中(世の中の調和)」は乱れます。
そして、多くの人が「不幸」になります。
ですから、それらは「悪いこと(間違っていること)」なのです。
同じように、「自分勝手な行動」「わがままな生き方」「人を騙すこと」「約束を破ること」「人に悪い影響を与えること」「公序良俗に反する行為、服装をすること」「環境を破壊すること」「動植物をむやみに殺すこと」等も、「『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す行為」だから「悪いこと(間違っていること)」なのです。
それらを少し行なっただけでは、「共存共栄の世の中(世の中の調和)」は乱れません。
ですが、多くの人が、それらを行なったら、「共存共栄の世の中(世の中の調和)」は、確実に乱れます。
そして、「共存共栄の世の中(世の中の調和)」が乱れてしまったら、多くの人が「不幸」になるのです。
ですから、それらは「悪いこと(間違っていること)」なのです。
逆に、「『協調性』を持って人に接すること」「『家族』『会社』『国家』等における『自分の役割』をしっかり果たすこと」「困っている人を助けること」「子供をしっかり育てること」「『社会全体のこと』を考えて行動すること」「動植物をむやみに殺さないこと」等は、「いいこと(正しいこと)」です。
それらを少し行なっただけで「共存共栄の世の中(世の中の調和)」が実現するわけではありません。
ですが、それらの行為は、少なからず、「『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を実現させ、維持すること」につながっています。
つまり、それらは、少なからず、「世の中の全ての人を『幸福』にすること」につながっているのです。
ですから、それらは「いいこと(正しいこと)」なのです。
このように、「大和思想」においては、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を維持、つくりだす行為」が「いいこと(正しいこと)」なのです。
そして、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す行為」が「悪いこと(間違っていること)」なのです。
また、「大和思想」においては、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」が明確なので、「正義」という言葉の意味も明確です。
「正義」とは、単純に言うと「正しいこと」という意味で、特に、「間違っていること」に対して、その「正しさ」を強調するときに使われます。
ですが、この「正しい」というのが、「どういう意味で『正しい』のか」が明確でなければ、「正義」の意味も明確になりません。
多くの場合、「いいこと(正しいこと)」の意味が明確でないまま「正義」という言葉が使われているので、「正義」の意味も曖昧です。
ですが、「大和思想」においては、「いいこと(正しいこと)」の意味が明確なので、「正義」の意味も明確です。
「大和思想」においては、「いいこと(正しいこと)」とは、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中』を維持、つくりだす行為」のことです。
ですから、「大和思想」における「正義」とは、「『共存共栄の世の中(世の中の調和)を維持、つくりだしている』という意味で正しいこと」になります。
ですから、「正義のために戦う」「正義のために立ち上がる」という言い方がありますが、「大和思想」においては、それらは、「『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ために戦う」「『共存共栄の世の中を維持、つくりだす』ために立ち上がる」という意味になるのです。
このように、「大和思想」においては、「正義」の意味も明確なのです。
さて、このように、「大和思想」においては、「いいこと(正しいこと)」と「悪いこと(間違っていること)」が明確なのです。
ですから、「大和思想」を持って生きれば、「それは『いいこと』なのか、それとも『悪いこと』なのか?」と悩むことはありません。
また、一生、「悪いこと(間違っていること)」をしないで生きていくことが可能です。
また、誰かが「悪いこと(間違っていること)」をして、それを注意するときに、「それをやってはいけない理由」を明確に説明することができます。
「それは『共存共栄の世の中(世の中の調和)を乱す行為』だからいけません」
「それをすると『共存共栄の世の中(世の中の調和)』が乱れ、多くの人が『不幸』になるからやめなさい」
このように言うことができるのです。
「大和思想」においては、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を維持、つくりだす行為」が「いいこと(正しいこと)」です。
そして、「直接的、間接的にかかわらず、『共存共栄の世の中(世の中の調和)』を乱す行為」が「悪いこと(間違っていること)」なのです。
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