大和思想 二章 人類の転換期
「大和思想」は、「世の中の全ての人と共に『幸福』になること」を「目的」に設定し、「『世の中の全ての人と共に幸福になる』ためには、世の中は、『共存共栄の世の中』である必要がある」と考えますが、人類の歴史の流れを見ますと、特に近年は、「『共存共栄の世の中を維持すること』を優先させる時代」へと大きく「方向転換」すべき、「人類の転換期」にあることが分かります。
近年、「科学技術」の目覚ましい発達によって、「生産性」が劇的に向上しました。
そして、1980年代から、世界的に「需要量」と「供給量」が逆転し、現在では、「需要量」より「供給量(生産量)」の方が多くなりました。
この「『需要量』より『供給量』の方が多くなったこと」は、人類にとって、とても大きな意味を持っています。
なぜなら、もし「供給量」より「需要量」の方が多かったら、人間が生きていく上で不可欠な「衣」「食」「住」等の「生活物資」が世の中の全ての人に行き渡らないので、必然的に「『生活物資』を手に入れるための争い」が起こりますが、「需要量」より「供給量」の方が多ければ、そのような「争い」は起こらないからです。
ですから、「生産性」が向上し、「『需要量』より『供給量』の方が多くなったこと」は、人類にとって、とても意味のあることですし、世の中の全ての人にとって、非常に喜ばしいことなのです。
さて、現在は、「需要量」より「供給量」の方が多いので、先進国では「食料」が余り、食べ残しや売れ残りが、毎日ゴミとして捨てられています。
また、「工業製品」も、まだ使えるものでも新しいものに買い替え、それをゴミとして捨てています。
ですが、現実には、世界には「食料」が手に入らず「飢餓」に苦しんでいる人や、「生活物資」が不足し「貧困」に苦しんでいる人がたくさんいます。
なぜそのようなことが起こるのかというと、それは、世の中に「『富』や『生活物資』をうまく分配する仕組み」がないからであり、なぜその「仕組み」がないのかというと、それは、今の世の中は、「『社会』を安定させること」より「『経済』や『社会』を発展させること」を優先させているからです。
「『経済や社会を発展させること』を優先させる」ということは、「『飢餓』や『貧困』に苦しんでいる人を見捨ててでも、『経済』や『社会』を発展させる」ということです。
ですから、今の世の中には、一部には「食料」や「工業製品」が余っているのに、一部には「飢餓」や「貧困」に苦しんでいる人がたくさんいるのです。
ですが、先ほど説明したように、現在は、すでに「需要量」より「供給量」の方が多いのです。
ですから、地球上にある「食料」をうまく分配すれば、地球上から「飢餓」をなくすことができると言われていますし、「生活物資」もうまく分配すれば、地球上から極端な「貧困」をなくすことができるのです。
また、「『経済』や『社会』を発展させること」より「『社会』を安定させること」を優先させると、必然的に「『経済』や『社会』が発展するスピード」は遅くなりますが、現在は「生産性」が向上しているので、たとえ「『経済』や『社会』が発展するスピード」が遅くなったとしても、「『社会』を安定させること」は十分可能なのです。
ですから、これからの時代は、「『経済』や『社会』を発展させること」より、「『社会』を安定させること(『共存共栄の世の中』を維持すること)」を優先させるべきなのです。
つまり、このことから、「現在の人類は、『経済や社会を発展させることを優先させる時代』から『共存共栄の世の中を維持することを優先させる時代』へと『方向転換』すべき時期にある」と言えるのです。
また、「『共存共栄の世の中を維持すること』を優先させる時代」へと「方向転換」すべき、別の理由もあります。
「科学技術」の発達は、「需要量」より「供給量」を多くするという、人類にとって非常に喜ばしい結果をもたらしましたが、その一方で、非常に悲しい結果ももたらしました。
最先端の「科学技術」は「軍事兵器」にも利用されているので、「最新兵器」の威力が非常に高まってしまい、今ではその威力が、地球を破壊し、人類を滅亡させることができるほどになってしまったのです。
「地球を破壊できる量の核兵器」「地球を破壊できるほど強力な地震兵器」「人類を滅亡させることができるほど強力な化学兵器」等、「地球を破壊すること」「人類を滅亡させること」ができるほど強力な「兵器」が、今の地球上にはたくさんあるのです。
「科学技術」は「両刃の剣」なので、正しいことに利用すれば「社会」を安定させ、人類に「幸福」をもたらしますが、間違ったことに利用すれば、「社会」の秩序を乱し、人間を「不幸」にします。
意図的でなくても、「自然」を破壊することに利用すれば、「自然」はどんどん破壊されますし、「社会」の秩序を乱すことに利用すれば、「社会」の秩序はどんどん乱れてしまうのです。
「人類が『高度な文明』を手に入れる前の世界」や、動植物のみの「自然界」は、全ての生物が必死に生きる結果として「世の中の調和」が保たれています。
ですが、現代ほど「科学技術」が発達した世界においては、人間が自分達の「意志」で、しっかりと「『世の中の調和』を保つ努力」をしなければ、「世の中の調和」は保てないのです。
それどころか、へたをすると、地球そのものを破壊し、人類を滅亡させてしまうこともあるのです。
ですから、これからの時代は、「無計画に『科学技術』を発展させ、利用する」のではなく、「『世の中の調和』を保つため」「『共存共栄の世の中』を維持する」ために、「科学技術」を発展させ、利用しなければならないのです。
このことからも、「現在の人類は、『経済や社会を発展させることを優先させる時代』から『共存共栄の世の中を維持することを優先させる時代』へと『方向転換』すべき時期にある」と言えるのです。
さて、これらのことから分かるように、現在は、「『経済や社会を発展させること』を優先させる時代」から「『共存共栄の世の中を維持すること』を優先させる時代」へと「方向転換」すべき、「人類の転換期」にあるのです。
以前は、「供給量」より「需要量」の方が多かったので、「共存共栄の世の中」を実現させようと思っても、不可能だったかもしれません。
ですが、現在は、「需要量」より「供給量」の方が多いので、「『共存共栄の世の中』を実現させること」は可能なのです。
また、「科学技術」が目覚ましく発達したことによって、現在は、「『無計画に科学技術を発展させ、利用すること』ができない状況」になったのです。
つまり、「『共存共栄の世の中』を維持するために、『科学技術』を発展させ、利用しなければならない状況」になったのです。
「需要量」より「供給量」の方が多くなったのに、「飢餓」や「貧困」に苦しんでいる人を犠牲にしてまで「経済」や「社会」を発展させることに、何の意味があるのでしょうか?
人類を滅亡させる危険があるのに、無計画に「科学技術」を発展させ、利用するのは、「正しい判断」なのでしょうか?
それは、「人類のあり方」として、明らかに間違っているのです。
「『需要量』より『供給量』の方が多くなった時点」が、また、「科学技術の発達によって、『人類が滅亡する危険性』が高まった時点」が、人類が大きく「方向転換」すべき時点なのです。
「『経済や社会を発展させること』を優先させる時代」は、すでに過ぎ去りました。
現在は、すでに、「『共存共栄の世の中を維持すること』を優先させる時代」になったのです。
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