大和思想 三章 「全体」は「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分かれている
世の中には様々な「全体」がありますが、全ての「全体」は、「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分かれています。
「全体」は「『共通の目的を持った人』の集まり」なので、全ての「全体」には、何らかの「目的」があります。
「全体に『目的』がある」ということは、「全体は、その『目的』を実現させる必要がある」ということですが、「全体の目的」を実現させるためには、「全体を構成する全ての人」が、「『まとまり』のある行動」「『統一性』のある行動」をする必要があります。
また、「全体を構成する全ての人」が「『まとまり』のある行動」「『統一性』のある行動」をするためには、「全体をまとめる立場の人(全体をまとめる役)」が必要になります。
また、「全体」の中から「全体をまとめる立場の人(全体をまとめる役)」を選び出すと、それに伴って「まとめられる立場の人」も選ばれることになります。
このように、世の中の全ての「全体」には「目的」があり、「目的」を実現させるためには「全体を構成する全ての人」が「『まとまり』のある行動」「『統一性』のある行動」をする必要があり、そのためには、「全体をまとめる立場の人」が必要になり、そして、「全体をまとめる立場の人」を選び出すと、それに伴って「まとめられる立場の人」も選ばれることになるのです。
ですから、世の中の全ての「全体」は、「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分かれているのです。
さて、このように、世の中の全ての「全体」は、「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分かれているのですが、このことをより理解するために、いくつかの「全体」を、「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分けてみたいと思います。
例えば、「父、母、子供二人の四人家族」の場合、「まとめる側」は「父と母」で、「まとめられる側」は「子供二人」です。
「友人の集まり」の場合、基本的には皆対等で、「まとめる側」「まとめられる側」という明確な区別はありません。
ですが、何かを決定するときには、必ず誰かが「決定する立場(まとめる側)」になるはずです。
ですから、そのときによって、「全体をまとめる人(まとめる側)」が変わるかもしれませんが、「友人の集まり」も、「まとめる側」と「まとめられる側」に分けて考えることができます。
「会社」の場合、例えば、各「部署」や「チーム」ごとに、それを「まとめる役」がいて、その上にその人達を「まとめる役」がいて、さらにその上にもその人達を「まとめる役」がいて、「会社全体をまとめる立場」に「社長」がいるというように、それぞれの「部署」や「チーム」も「会社全体」も、「まとめる側」と「まとめられる側」に分けて考えることができます。
また、場合によっては、取り組んでいる「プロジェクト」においては「まとめる側」で、所属している「部署」においては「まとめられる側」というように、そのときによって立場が変わることもあります。
ですが、いずれにしろ、取り組んでいる「プロジェクト」も所属している「部署」も、「まとめる側」と「まとめられる側」に分けて考えることができます。
「国家」の場合、大まかに言うと、「まとめる側」は「公務員」で、「まとめられる側」は「公務員以外の国民」です。
ですから、世界には百九十以上の「国家」があり、それぞれの「国家」は、少なからず異なる方法で運営されていますが、いずれの「国家」も、「まとめる側」と「まとめられる側」に分けて考えることができます。
これらのことから分かるように、世の中の全ての「全体」は、「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分かれているのです。
「全体」によっては、それぞれの立場があまり明確でなかったり、そのときによって変わったりしますが、全ての「全体」は、「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分かれているのです。
さて、このように、世の中の全ての「全体」は、「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分かれているのですが、「全体の目的」を実現させる上で、この「観点」を持つことはとても重要です。
なぜなら、先ほど説明したように、「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」は、明確に分かれていなかったり、そのときによって変わったりするので、この「観点」をしっかり持っていなければ、誰が「まとめる側(まとめる立場)」で、誰が「まとめられる側(まとめられる立場)」なのかを正確に把握することができないからです。
そして、それができないので、「自分の役割」をしっかり果たすことができず、「全体の目的」を実現させることができなくなるからです。
「『全体をまとめる立場の人』の役割」と「『まとめられる立場の人』の役割」には、「大きな違い」があります。
「『全体をまとめる立場の人』の役割」には、「最終決定をし、指示を出すこと」があります。
「『まとめられる立場の人』の役割」には、「その指示に従うこと」があります。
このように、「『全体をまとめる立場の人』の役割」と「『まとめられる立場の人』の役割」には、「大きな違い」「真逆の部分」があるので、誰が「全体をまとめる立場」で、誰が「まとめられる立場」なのかを正確に把握していなかったら、「自分の役割」をしっかり果たすことができず、「全体の目的」を実現させることができなくなるのです。
自分が「全体をまとめる立場」なのに、それに気付かなければ、指示を出すべきときに、指示を出すことができません。
また、「まとめられる立場」なのに、それに気付かなければ、指示に従うべきときに、指示に従うことができません。
このように、「指示を出すべき人」が指示を出さず、「指示に従うべき人」が指示に従わなかったら、「『まとまり』のある行動」「『統一性』のある行動」ができないので、「全体の目的」を実現させることはできなくなるのです。
逆に、常に「全体」を「まとめる側」と「まとめられる側」に分けて考えていれば、常に、誰が「全体をまとめる立場」で、誰が「まとめられる立場」なのかを正確に把握することができます。
そして、常に、それらを正確に把握していれば、常に、「自分の役割」をしっかり果たすことができます。
そして、常に、それぞれが「自分の役割」をしっかり果たしていれば、「全体」は、常に「『まとまり』のある行動」「『統一性』のある行動」ができるので、「全体の目的」を実現させることができるのです。
ですから、「全体は『まとめる側(まとめる立場)』と『まとめられる側(まとめられる立場)』に分かれている」という「観点」を持つことは、「全体の目的」を実現させる上で、とても重要なことなのです。
さて、これらのことから分かるように、世の中の全ての「全体」は、「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分かれているのです。
「全体の構造」の「根本」は、「目的」と「複数の人」です。
そして、「複数の人(全体を構成する全ての人)」は、「『全体の目的を実現させる活動』の『一部分』を担っている状態」で存在しています。
また、「複数の人(全体を構成する全ての人)」は、「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分かれているのです。
ところで、「全体」を「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分けて考えるときには、次のことに注意する必要があります。
それは、「『まとめる側』も『まとめられる側』も、『全体を構成する一員』という意味では、皆『対等』である」ということについてです。
「まとめる側」と「まとめられる側」の違いは、あくまで「役割」の違いです。
「全体を構成する全ての人」が、「共通の目的」を実現させるために「役割分担」という意味で分かれたもの。それが、「まとめる側」と「まとめられる側」です。
ですから、どちらが「偉い」「偉くない」ということはなく、どちらも、同じ「全体」を支える「重要な存在」であり、「協力関係」にあり、「全体を構成する一員」という意味で「対等な関係」にあるのです。
「役割」が違えば、「責任」の重さも「要求される能力」も違ってきます。ですから、当然「報酬」も違ってきます。ですが、どちらも「同じ『全体』を構成する一員」なのです。
ですから、自分が「まとめる側」だとしても、威張ったり、増長したりしてはいけませんし、「まとめられる側」だとしても、卑屈になったり、弱気になったりしてはいけないのです。
なぜなら、そのようなことをしていたら、「全体の目的」を実現させることができなくなるからです。
ですから、「全体」を「まとめる側(まとめる立場)」と「まとめられる側(まとめられる立場)」に分けて考えるときには、このことに注意する必要があるのです。
続きを読む ⇒ 「全体」は「システム」によって成り立っている