大和思想 三章 「全体を統制する」必要性について
※ここで言う「統制」とは、「『全体を構成する全ての人』の『あり方』と『行動』に『統一性』をもたらすための働きかけ」という意味です。
また、「全体を統制する」とは、「『全体を構成する全ての人』の『あり方』と『行動』に『統一性』をもたらす」という意味です。
「全体を統制する」と言うと、「高圧的」「強制的」な印象を受けるかもしれませんが、「統制」とは、必ずしも、そのような意味で使われる言葉ではありません。
もし、「統制」が「正当性のない活動」において行なわれるなら、それは「高圧的」「強制的」、さらには「弾圧」になるかもしれません。
ですが、ここで言う「全体を統制する」とはそういう意味ではなく、「『全体を構成する全ての人』の『あり方』と『行動』に『統一性』をもたらす」という意味です。
すでに説明したように、世の中の全ての「全体」は、「システム」によって成り立っています。
また、「全体の目的」を実現させるためには、「全体を構成する全ての人」が、「全体のシステム」に従って行動する必要があります。
ですから、どのような「全体」でも、「全体の目的」を実現させるためには、「全体を構成する全ての人」の「あり方」と「行動」を、「『全体のシステム』に従っている状態」にする必要があります。つまり、「全体を統制する」必要があります。
「全体を構成する人」といっても、それぞれは「自分の考え」を持った「独立した個人」なので、何の働きかけもしないで放っておいたら、その「あり方」と「行動」は、「『全体のシステム』に従っている状態」になりません。
ですから、どのような「全体」でも、「全体の目的」を実現させるためには、少なからず「統制」する必要があるのです。
さて、この「統制」ですが、「統制」には「強弱」があり、「全体」によって必要とする「統制の強弱」は違います。
また、その「強弱」によって、「得られるもの」と「得られないもの」があります。
例えば、「弱い統制」を必要とする「全体」に「友人の集まり」があります。
「友人の集まり」には、基本的に、「統制」と言えるほどのものはありません。
また、それがなく「気楽」でいられるところに、「友人の集まり」の良さがあると言えます。
ですが、「友人の集まり」のように「統制が弱い全体」は、「統一性のある行動」をするのが難しいので(あまり『統制』がとれていないので)、何か「大きな問題」が起きたときに、それに対処するのは非常に困難です。
また、そのときになって、急に「統制」を強めようとしても、それを行なうのは簡単ではありません。
一方、「友人の集まり」とは対照的な「強い統制」を必要とする「全体」に、「軍隊」があります。
「軍隊」は、「銃弾」や「砲弾」が飛び交う「命の危険」がある状況下で「統一性のある行動」をする必要性から、必然的に「統制」が強くなります。
ですから、それこそ上官の命令に背いたり、「全体の秩序を著しく乱す行動」をしたりしたら、その場で殺されることもあります。
「軍隊」は、このように非常に「統制」が強いので、「銃弾」や「砲弾」が飛び交う戦場においても、未だかつて経験したことがないような大災害時においても、「統一性のある行動」をすることができるのです。
ですが、逆に、それだけ「統制」が強いので、その中で「気楽さ」や「安らぎ」を得ようとしても、それは簡単ではないのです。
このように、「統制」には「強弱」があり、それによって「得られるもの」と「得られないもの」があるのです。
「統制」を強めると、「統一性」が得られる一方、「気楽さ」「安らぎ」、また「客観的視点」「多様な考え」「多様なアイディア」等を得るのが難しくなります。
逆に、「統制」を弱めると、「気楽さ」「安らぎ」「客観的視点」「多様な考え」「多様なアイディア」等が得られる一方、「統一性」を得るのが難しくなるのです。
さて、このように「統制」には「強弱」があり、その「強弱」によって「得られるもの」と「得られないもの」があるので、「『統制の強弱』をどのようにするか」は、「全体の目的」を実現させる上でとても重要になります。
「『統制の強弱』をどのようにするか」とは、別の言い方をすると、「『統一性と自由のバランス』をどのようにするか」ということですが、「統制」は、「全体の目的」を実現させるためにするものなので、そのバランスは、「『その全体の目的を実現させること』ができる状態」に設定する必要があります。
人によっては、「統制」を強めれば、それだけで「全体の目的」を実現させることができると思うかもしれませんが、そうではありません。
例えば、経済において、「計画経済(政府による『統制』が強く、『経済活動の自由度』が低い経済システム)」を採用した国より、「自由主義経済(政府による『統制』が弱く、『経済活動の自由度』が高い経済システム)」を採用した国の方が、経済的に発展したことから分かるように、「統制を強めること(自由度を低くすること)」が、必ずしも「『全体の目的』を実現させること」につながるわけではないのです。
「全体の目的」を実現させるためには、様々な「出来事」や「『状況』や『環境』の変化」に、素早く、的確に、臨機応変に対処する必要があり、そのためには、「全体を構成する全ての人」が、「主体性」を持って「自主的」に行動する必要がありますが、「統制」を強めると、それをするのが難しくなります。
また、「全体」を「発展」させるためには、「客観的視点」「多様な考え」「多様なアイディア」が必要になりますが、「統制」を強めると、それらを得るのも難しくなります。
また、人間には、それぞれの「考え」や「生き方」があるので、それらを無視して「統制」を強めると反発が起きます。
ですから、「統制」を強めるだけでは、「全体の目的」を実現させることはできないのです。
どのような「全体」でも、「全体の目的」を実現させるためには、少なからず「統制」する必要がありますが、このように「『統一性』と『自由』のバランス」が悪かったら、「全体の目的」を実現させることはできないのです。
ですから、「統制の強弱(『統一性』と『自由』のバランス)」は、あくまで、「『その全体の目的を実現させること』ができる状態」に設定する必要があるのです。
また、「全体を統制する」上で、とても重要なことがあります。
それは、「『全体を統制する』ためには、『最終決定権を持つ人』は一人でなければならない」ということです。
これは、「軍隊」のように「『強い統制』を必要とする全体」においては、当然のこととして理解されていると思いますが、それ以外の、どのような「全体」においても言えることです。
どのような「全体」でも、「最終決定権を持つ人(最終決定をし、指示を出す人)」が複数いたら、「統一性のある行動」はできません。
一つの「全体」に、Aさんの指示に従う人と、Bさんの指示に従う人がいるようでは、「統一性のある行動」はできないのです。
ですから、どのような「全体」でも、「最終決定権を持つ人」は一人でなければならないのです。
これは、「全体を統制する」上で根本的に重要な、「全体を統制する」ための「鉄則」なのです。
さて、これが、ここで言う「統制」なのです。
そして、どのような「全体」でも、「全体の目的」を実現させるためには、少なからず、この「統制」をする必要があるのです。
「全体」は「システム」によって成り立っているので、「全体の目的」を実現させるためには、「全体を構成する全ての人」が、「全体のシステム」に従って行動する必要があります。
ですが、人間は、それぞれが「独立した個人」なので、何の働きかけもしないで放っておいたら、「『全体のシステム』に従っている状態」にはならないのです。
ですから、どのような「全体」でも、「全体の目的」を実現させるためには、少なからず「統制」する必要があるのです。
さて、どのような「全体」でも、「全体の目的」を実現させるためには、少なからず「統制」する必要があるのですが、実際に「全体を統制する」ためには、次の四つのことをしっかり行なう必要があります。
「全体のルール」をつくる
「全体を統制するための教育」をしっかり行なう
「信賞必罰」を行なう
「抑止力」を有効に活用する
これらをしっかり行なうことによって、「全体を統制すること」ができるのです。
そこで、これから、これらについて順番に説明していきたいと思います。
続きを読む ⇒ 「全体のルール」をつくる