大和思想 三章 「全体を統制するための教育」をしっかり行なう
※ここで言う「『全体を統制するための教育』をしっかり行なう」とは、「『全体のルールに従う必要性』をしっかり理解させる」という意味です。
先ほど説明したように、「全体を統制する」ためには、まず、はじめに、「全体のルール」をつくる必要がありますが、「全体のルール」をつくったら、次に、「全体を統制するための教育」をしっかり行ないます。
つまり、「全体を構成する全ての人」に、「『全体のルール』に従う必要性」をしっかり理解させます。
「全体を構成する人」は、「全体のルール」をつくっただけでは、その「ルール」に従いません。
ですから、「全体を統制する」ためには、「全体のルール」をつくるだけでなく、「全体を統制するための教育」をしっかり行なう必要があるのです。
さて、「全体を統制する」ためには、「全体を統制するための教育」をしっかり行なう(「全体のルールに従う必要性」をしっかり理解させる)必要があるのですが、そもそも、「『全体のルール』に従う必要性」「『全体のルール』に従わなければならない理由」とは何なのでしょう?
「『全体のルール』に従わなければならない理由」は、「全体」には「目的」があり、「全体の目的」を実現させるためには、「全体を構成する全ての人」が「『まとまり』のある行動」「『統一性』のある行動」をする必要があり、そのためには、「全体を構成する全ての人」が「全体のルール」に従う必要があるからです。
「全体を構成する全ての人」が「全体のルール」に従わなかったら、「『まとまり』のある行動」「『統一性』のある行動」はできません。
そして、「『まとまり』のある行動」「『統一性』のある行動」ができないので、「『全体の活動』の効率」が下がり、「全体の実力」を十分に発揮させることができなくなり、「全体の目的」を実現させることができなくなるのです。
ですから、「全体を構成する全ての人」は、「全体のルール」に従わなければならないのです。
これが、「『全体のルール』に従わなければならない理由」なのです。
さて、これが、「『全体のルール』に従わなければならない理由」「『全体のルール』に従う必要性」なので、「全体を統制する」ためには、これを「全体を構成する全ての人」に説明し、しっかり理解させる必要があります。
「『必要性』をしっかり理解させること」、これが、「全体を統制する」ためには必要なのです。
「必要性」をしっかり理解させず、単に「『全体のルール』に従いなさい」と言うだけでは、「全体を統制すること」はできません。
例えば、「法律を守りなさい」と一方的に言うだけで、「法律を守る必要性」をしっかり理解させなければ、その人は「法律を守る必要性」を理解していないので、「『法律を守る必要性』をしっかり理解している人」と比べると、簡単に「法律」を破ってしまいますし、「法律」に違反しても、あまり「罪悪感」を感じません。
また、「『法律を守る必要性』を理解していない人」が「法律」に従っていたとしても、それは、「単に『言われたとおりに行動している』状態」「『ただ、何となくそうしている』状態」で、「『確信を持って行動している』状態」ではないので、周りの人が「法律」を破っているのを見たり聞いたりすると、その影響を受けやすく、流されやすいですし、気分次第で「法律」を守ったり、破ったりしてしまいます。
また、「『法律を守る必要性』を理解していない人」を、単に「刑罰」を強化することによって「法律」に従わせようとしても、その人は、そもそも「法律を守る必要性」を理解していないので、なんとか「法律の抜け穴」を探して、それから逃れようとしたり、表面だけ取りつくろって、「法律に従っている」ように見せかけたりするようになってしまいます。
このように、「全体を構成する人」は、「『全体のルール』に従う必要性」をしっかり理解していなかったら、進んで「全体のルール」に従うことはないのです。
それどころか、場合によっては、なんとかして「全体のルール」から逃れようとするのです。
ですから、「全体を統制する」ためには、「『全体のルールに従う必要性』をしっかり理解させる」必要があるのです。
「一方的に言う」とか「単に伝える」ということではなく、「しっかり理解させること」が必要なのです。
さて、これらのことから分かるように、「全体を統制する」ためには、「全体を統制するための教育」をしっかり行なう必要があるのです。
「全体を統制する」ためには、「全体のルール」をつくる必要がありますが、「全体を構成する人」は、「全体のルール」をつくっただけでは、その「ルール」に従いません。
ですから、「全体のルール」をつくったら、次に、「全体を統制するための教育」をしっかり行なう必要があるのです。
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