大和思想 三章 「信賞必罰」を行なう
※ここで言う「賞」とは、「『全体の目的を実現させるための働きかけを行なった人』に対して『感謝し、報いる』という意味で与えられるもの」のことで、「金品」「名誉」「地位」「待遇」、また「褒めること」「褒め称えること」「お礼を言うこと」等のことです。
また、「罰」とは、「『全体のルールに違反した人』に対して行なわれるもの」のことで、一般的な意味での「罰」、また「注意すること」「叱ること」等のことです。
また、「信賞必罰」とは、「功績があれば必ず『賞』を与え、罪があれば必ず『罰』すること」「『賞罰』のけじめを厳正にし、確実にそれを行なうこと」という意味です。
「信賞必罰」は、「組織をまとめる」上で、とても重要なことだと言われています。
なぜなら、「賞罰」が確実に行なわれず、「功績」があっても「賞」が与えられないなら、人は「頑張ろう」という「意欲」をなくしますし、罪を犯しても「罰」せられないなら、人は平気で悪事を企むようになるからです。
「全体を統制する」ためには、「信賞必罰」を行なう必要があります。
先ほど説明したように、「全体を統制する」ためには、まず「全体のルール」をつくります。
そして、「全体を統制するための教育」をしっかり行ないます。
この「『全体を統制するための教育』をしっかり行なうこと」が、「全体を構成する全ての人」を「全体のルール」に従わせる上で根本的に重要なのですが、いくら「全体を統制するための教育」を行なっても、中には、「それをうまく理解できない人」や「理解しても『全体のルール』に従わない人」がいます。
また、人間は、誰も完璧ではないので、誰でも「間違い」や「失敗」をすることがあります。つまり、意図的ではなくても、「全体のルール」に違反することがあります。
このように、「全体を統制するための教育」をしっかり行なっても、それだけでは、「『全体を構成する全ての人』を『全体のルール』に従わせること」はできないので、「全体を統制する」ためには、「『全体を統制するための教育ではカバーできない部分』を補うもの」が必要になります。
この「『全体を統制するための教育ではカバーできない部分』を補うもの」が、「賞」と「罰」です。
「全体を構成する全ての人」を「全体のルール」に従わせるためには、まず、「全体を統制するための教育」をしっかり行ないます。
そして、「『全体を統制するための教育』ではカバーできない部分」を「賞」と「罰」で補うのです。
さて、すでに説明したように、「全体を構成する全ての人」は、「『全体の目的を実現させる活動』の『一部分』を担っている状態」で存在しています。
「『全体の目的を実現させる活動』の『一部分』を担っている状態」で存在しているのが、「全体を構成する人」の「本来の姿」「あるべき姿」なのです。
ですから、「全体を構成する全ての人」は、「賞」が「得られる」「得られない」にかかわらず、また、「罰」を「受ける」「受けない」にかかわらず、「自分の役割」は、常に、しっかり果たさなければなりません。
「『賞』が得られなければ『自分の役割』をしっかり果たさない」「『罰』を受けなければ『自分の役割』をしっかり果たさない」というのは、明らかに間違った考えなのです。
ですが、その一方で、「『全体の目的を実現させるための働きかけ』を行なった人」「全体に貢献した人」に対して「感謝」し、「『賞』を与えて報いる」のは、とても重要なことだと言えます。
また、人は誰でも、「賞が得られる」と思えば「意欲」がわきますが、それはそれで、自然なことです。
また、「罰」を用意すれば、誰でも、「罰」を受けないように「用心」して行動しますが、それも当然のことです。
これらのことから分かるように、「賞」には「『人間の意欲』を引き出す効果」がありますし、「罰」には「『全体のルールに違反する行為』を抑止する効果」があるのです。
ですから、「賞」と「罰」を有効に活用すれば、つまり「信賞必罰」を行なえば、「『全体の目的を実現させるための働きかけ』をする意欲」を引き出すと共に、「『全体のルール』に違反する行為」を抑止することができるのです。
つまり、「信賞必罰」を行なえば、「『全体を統制するための教育ではカバーできない部分』を補い、『全体を構成する全ての人』を十分に『全体のルール』に従わせること」ができるのです。
さて、この「信賞必罰」を行なう(「賞」と「罰」を有効に活用する)ためには、いくつかのことに注意する必要があります。
「信賞必罰」とは、「功績があれば必ず『賞』を与え、罪があれば必ず『罰』すること」なので、「賞」と「罰」は、「『行なうべきとき』には必ず行なう」のが「鉄則」です。
人は誰でも、「親しい人」には甘く、「嫌いな人」には厳しくなりがちです。
人によっては、それを当然のことだと思うかもしれませんが、「賞罰」の適用に「私心」をはさみ「公正」に行なわなかったら、いずれ「信用」を失い、「全体を統制すること」はできなくなります。
ですから、もし「罰するべき」なら、たとえ、「愛する人」「友人」「身内」「年上」でも「罰」しなければなりませんし、「賞を与えるべき」なら、たとえ、「嫌いな人」「利害が対立する人」「一度も話したことがない人」でも、「賞」を与えなければなりません。
自分の「感情」に基づくのではなく、「客観的基準」に基づいて考え、「『行なうべきとき』には必ず行なう」のが「信賞必罰」なのです。
また、「賞」と「罰」を有効に活用するためには、「行なうべきタイミング」で行なう必要があります。
「賞」も「罰」も、「行なうべきタイミング」で行なわなければ、十分な効果は得られません。
「行なうべきタイミング」から、あまりにも時間が経っていたら効果は薄れますし、早すぎても効果は得られないのです。
「『賞』と『罰』を行なうタイミング」は、どちらかと言えば早い方がいいですが、あくまで、「行なうべきタイミング」で行なう必要があるのです。
また、「賞」と「罰」を有効に活用するためには、「『賞罰を適用する基準』を正しくし、常に一定にする」必要があります。
「賞罰を適用する基準」が間違っていたら、「正しいこと」をして「罰」を受け、「間違ったこと」をして「賞」を得ることになるので、「全体を構成する全ての人」の行動がデタラメになり、「全体の目的」を実現させることができなくなります。
また、「賞罰を適用する基準」が一定でなく、そのときによって変わるなら、何が「正しいこと」で、何が「間違っていること」なのかが分からなくなるので、「全体を構成する人」は、「罰」を恐れて、積極的に行動しなくなります。
また、「賞罰を適用する基準」を頻繁に変えると、「まとめられる立場の人」は、「全体をまとめる立場の人」を信用しなくなり、その指示に従わなくなります。
ですから、「賞」と「罰」を有効に活用するためには、「『賞罰を適用する基準』を正しくし、常に一定にする」必要があるのです。
また、人によっては「賞罰」を行なうことを躊躇しますが、「客観的」に考えて「行なうべき」なら、自信を持って堂々と行なわなければなりません。
例えば、「褒めること」や「お礼を言うこと」を「言いにくい」「恥ずかしい」と考えて躊躇したり、「注意すること」や「叱ること」を「恐い」「めんどくさい」と言って、「行なうべき」なのに行なわなかったりしたら、「全体を統制すること」などできません。
また、「『賞罰』を行なう目的」は「全体を統制するため」ですから、もし「全体を統制する」ために必要なら、「賞」も「罰」も十分に行なう必要があります。
つまり、「正当な理由」があるなら「賞」を重くしてもかまいませんし、必要であるなら、「罰」を重くすることをためらってはいけないのです。
厳しすぎる必要はありませんが、「全体を統制する」ためには、ときには「断固とした態度」を示す必要もあるのです。
中国の歴史に管仲という人物がいますが、彼は次のように言います。
「正当な『褒賞』は浪費ではない。正当な『刑罰』は暴虐ではない。『信賞必罰』こそ最高の徳である」と。
このように「賞」と「罰」は、「客観的」に考えて「正しい」なら、自信を持って堂々と行なうべきものなのです。
また、「賞」と「罰」は、「全体を構成する全ての人」を「全体のルール」に従わせる上で有効ですが、あくまで、「『全体を統制するための教育』で導き、『全体を統制するための教育ではカバーできない部分』を『賞』と『罰』で補う」という考え方が重要です。
「教育」と「賞罰」では、どちらかといえば「賞罰」の方が簡単に行なえるので、人によっては安意に「賞罰」に頼ってしまいますが、「賞罰」は有効に活用しなければ、かえって、「全体を統制すること」ができなくなります。
例えば、必要以上に「賞」を与えると、人は「賞を受けること」に慣れ、「賞を受けることに対する『喜び』や『有り難み』」が薄れたり、「『賞が得られなければ、全体の目的を実現させるための働きかけをしない』という考え」を持つようになったります。
また、必要以上に「罰」を与えると、「罰を受けること」に慣れ、「罰」せられても反省しなくなったり、反発したりするようになります。
また、必要以上に「罰則」を強化すると、「罰せられないように行動すること」だけを考えるようになり、「自主性」「やる気」「正しいことを行なう意欲」等をなくしてしまいます。
また、「全体を統制するための教育」をしっかり行なわずに(「全体のルールに従う必要性」をしっかり理解させずに)「罰」を用いると、その人は、「『全体のルール』に従う必要性」を理解していないので、「無理矢理従わされている」と思い、「逆恨み」をするようになります。
ですから、「全体を統制するための教育」をしっかり行なわずに「賞罰」に頼ると、「全体を統制すること」ができなくなるのです。
ですから、「賞」と「罰」を有効に活用するためには、「『全体を統制するための教育』で導き、『全体を統制するための教育ではカバーできない部分』を『賞』と『罰』で補う」という考え方が重要になるのです。
さて、これらのことに注意して「信賞必罰」を行なうことによって、「『全体を統制するための教育ではカバーできない部分』を補い、『全体を構成する全ての人』を十分に『全体のルール』に従わせること」ができるのです。
「全体を構成する全ての人」を「全体のルール」に従わせるためには、「全体を統制するための教育」をしっかり行なうことが根本的に重要です。
ですが、それだけでは、「『全体を構成する全ての人』を十分に『全体のルール』に従わせること」はできないのです。
ですから、「全体を統制する」ためには、「信賞必罰」を行なう必要があるのです。
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