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常に、自分の「運命」を受け入れている

大和思想 五章  常に、自分の「運命」を受け入れている


 ※ここで言う「運命」とは、「人生で起こる全ての出来事」のことで、「神が定めたこと」「『生まれてから死ぬまでの間に起こる全ての出来事』は、神によって定められている」等のことではありません。



「大和思想を実践している人」は、常に、自分の「運命」を受け入れています。



 人間には「欲」があります。

 ここで言う「欲」とは、「○○が欲しい」「○○を手に入れたい」といった「欲求」のことですが、この「欲」が湧いた時点では、つまり「○○が欲しい」と思った時点では、「その『○○』は手に入れていない状況」にあります。

 ですから、人間は「○○が欲しい」「○○を手に入れたい」と思うと、「その『○○』を手に入れた状況(欲が満たされた理想の状況)」と「『○○』を手に入れていない現状(欲が満たされていない現状)」の「差」に、少なからず「不満足(精神的苦しみ)」を感じます。


 また、「○○をしたくない」というのも同じで、「○○をしたくない」と思った時点では、「『○○』をしなければならない状況」にあります。

 ですから、「○○をしたくない」と思うと、「『○○』をしなくていい状況(欲が満たされた理想の状況)」と「『○○』をしなければならない現状(欲が満たされていない現状)」の「差」に、少なからず「不満足(精神的苦しみ)」を感じます。


 このように、人間は、「『理想(欲が満たされた理想の状況)』と『現実(欲が満たされていない現状)』の間に『差』があること」によって「不満足(精神的苦しみ)」を感じるので、「もっといい生活がしたい」「もっと強くなりたい」「もっとキレイになりたい」「もっとお金が欲しい」「もっと権力を手に入れたい」「もっと癒されたい」「もっといい人に出会いたい」「もっと楽しみたい」「出世したい」「有名になりたい」「相手にされたい」「いい家に住みたい」「旅行をしたい」「努力をしたくない」「仕事をしたくない」「勉強をしたくない」と思えば思うほど、より多くの「不満足(精神的苦しみ)」を感じることになります。

 また、それを強く思えば思うほど、「理想」と「現実」の「差」が明確になるので、より強い「不満足(精神的苦しみ)」を感じることになります。

 このことから分かるように、「欲」とは、「『多ければ多いほど』『強ければ強いほど』、より大きな『苦しみ』を味わうもの」なのです。


 また、「欲」には「食欲」「性欲」「睡眠欲」のように、生きるため、種族を存続させるために「全ての動物が持っているもの」や、「発展欲」「向上心」のように、発展、成長するために「持っておいた方がいいもの」、また、「自分さえ良ければいい」という、相手のことを考えない「自分勝手」な「わがまま」な「我欲」等があります。

 これらは全て「欲」ですが、いずれも、自分の「意志」とは関係なく勝手に湧いてきます。

 つまり、「欲」とは、「自分の『意志』とは関係なく勝手に湧いてくるもの」でもあるのです。


 また、「欲」は、一度満たされれば、もう一度満たしたくなり、手に入れられると思っただけでも、手に入れなければ気がすまなくなるというように、「尽きることがないもの」「限度がないもの」でもあります。


 このように、「欲」とは、「『多ければ多いほど』『強ければ強いほど』、より大きな『苦しみ』を味わうもの」であり、「自分の『意志』とは関係なく勝手に湧いてくるもの」であり、「尽きることがないもの」「限度がないもの」なのです。

 ですから、人間は、「『欲』をしっかりコントロールすること」ができなければ、「欲」に振り回されて、多くの「苦しみ」を味わうことになるのです。



 さて、人間は、「『欲』をしっかりコントロールすること」ができなければ、多くの「苦しみ」を味わうことになるので、人間が「幸福」になる上で、「『欲』をしっかりコントロールすること」はとても重要なのですが、「欲」をしっかりコントロールし、「苦しみ」を解消する上で有効なのが、「自分の『運命』を受け入れること」です。


 例えば、人によっては「困難」に直面すると、「困難がなければいいのに」という、「困難がない状況」を欲する「欲」を持ちますが、このような「欲」でも、強く持てば持つほど「理想」と「現実」の「差」が明確になるので、より精神的に苦しむことになります。

 ですが、どのような「困難」に直面しても、「そういうこともある」「人生は山あり谷ありである」「世の中には『自分よりも大変な状況にいる人』がいる」と考え、「自分の『運命』を受け入れること」ができれば、じたばたせず、「前向きに生きる覚悟」を決められるようになるので、「精神的苦しみ」は、少なからず解消されます。


 また、人によっては、年をとって体力が衰え、若い頃と同じように活動することができなくなると、「年はとりたくない」「若くありたい」という「若さ」を求める「欲」を強く持つようになります。

 そして、その「理想」と「現実」の「差」に苦しむことになります。

 ですが、たとえ年をとって体力が衰えても、「人生とはそういうものである」「全ての人が同じ経験をしている」「年相応であることが大切である」と考え、「『年をとること』を受け入れること」ができれば、必要以上の「気負い」や「若者と張り合う気持ち」がなくなり、気持ちが楽になります。


 また、人間には「生きよう」とする「欲」があるので、人によっては「死」に直面すると、「生きたい」という「欲」を必要以上に強く持ちます。

 そして、そのために、かえって「恐怖」に怯え、苦しむことになります。

 ですが、たとえ「死」に直面しても、「生きているものは必ず死ぬ」「人が死ぬのは自然なことである」「『生まれること』と『死ぬこと』はセットになっている」「人間は、ただ生きて、ただ死ぬだけである」「生まれた瞬間から『死へのカウントダウン』は始まっている」と考え、「死を受け入れること」ができれば、「死」に対する「恐怖心」が減り、「死」に直面しても「落ち着き」「心の平静さ」「平常心」を保つことができるようになります。


 また、「怒られること」「嫌われること」「失敗すること」は、誰にとっても嫌なことなので、人によっては、そうなったとき、もしくは、そうなりそうなときに、「それを避けたい」という「欲」を強く持ちます。

 そして、そのために、必要以上に動揺したり、取り乱したり、落ち込んだり、悲しんだりします。

 ですが、そのようなことも、「次回から気を付ければいい」「すでに起こったことは仕方がない」と受け入れることができれば、必要以上に動揺したり、取り乱したり、落ち込んだり、悲しんだりすることはなくなります。


 また、「出世」「名声」「地位」「成功すること」を望むのは自然なことですが、人によっては、それを必要以上に強く求めてしまい、そのために、活動がうまくいかないときや、作業がはかどらないときに、「イライラ」「せかせか」し、「ストレス」を多く抱えてしまいます。

 ですが、たとえ「高い理想」を持っていたとしても、それと同時に、「自分の『運命』を受け入れる感覚」もしっかり持っていれば、どのような状況になっても、どのような結果になっても、常に「冷静さ」を保っていられます。


 また、経済、学問、スポーツ、芸能等、様々な分野で、「一時的に脚光を浴びた人」が、その後、脚光を浴びなくなったときに、過去の栄光に縛られて、「現在の自分を受け入れられないこと(『いつまでも脚光を浴びていたいという欲』を強く持つこと)」があります。

 そして、そのために苦しみ、「投げやり」になったり「自暴自棄」になったりすることがあります。

 ですが、「自分は、一時的にでも脚光を浴びたのだから恵まれている」「自分は一時的にでも、他の人より世の中に貢献できたのだから恵まれている」と、「現状を受け入れること」ができれば、「プライド」や「プレッシャー」から解放されて、気持ちが楽になります。


 また、人によっては、思い出したくない程の「後悔」や「失敗」や「嫌な経験」があると、それを受け入れることができず(「それがなければいいのに」という「欲」を強く持ち)、そのために、いつまでも苦しい思いをし、「前向きに生きること」ができなかったり、「うつ」になったりすることがあります。

 ですが、そのようなことも、「失敗をしない人など、どこにもいない」「失敗は次に生かせばいい」「過ぎたことをいつまでも考えていても仕方がない」「いつまでも、くよくよしていても意味がない」と受け入れることができれば、気持ちが切り替わり、「過去にとらわれずに、未来に目を向けよう」「過去はともかく、これからの人生をいいものにしよう」という、「前向きに生きる意欲」が湧いてきます。


 また、「能力」や「人格」を向上させる上で「理想を高く持つこと」は重要ですが、「理想を高く持つ」だけで、「失敗」「自分の短所」「能力が劣っていること」「うまくできないこと」等を受け入れる感覚を持っていなかったら、「理想」と「現実」の「差」が必要以上に気になったり、「失敗」したときの「ショック」が大きくなったりします。

 ですが、「『ありのままの自分』を受け入れる感覚」「どのような結果でも受け入れる感覚」をしっかり持っていれば、常に「落ち着き」「心の平静さ」を保っていられます。


 また、世の中には、「何でも『自分の思いどおり』にしたい」「細かいところまで『自分の思いどおり』でなければ気がすまない」と言う人がいますが、人生では、「自分が望んでいないこと」がたくさん起こりますし、世の中には、「『自分の思いどおり』にならないこと」がたくさんあるので、そのような感覚を強く持っていると、毎日起こる「『自分の思いどおり』にならないこと」に、いちいち腹を立て、「自分が望んでいないこと」に、いちいち「ショック」を受け、毎日の生活が嫌になり、人生そのものが苦痛になってしまいます。

 ですが、「何から何まで『自分の思いどおり』になるはずがない」「全ての人が同じ状況の中で生活している」と考え、「普段の生活の中で起こる全ての出来事」を受け入れることができれば、そのような苦しみはなくなり、「心の平静さ」を保てるようになります。


 また、「努力に対する『正当な評価』を求めること」や「貢献したことに対する『正当な見返り』を求めること」は、ある意味当然ですが、そのような「正当な欲」でも、それを強く持っていると、それが受けられなかったときに、とても大きなショックを受け、非常に落ち込むことになります。

 ですが、たとえ、それが受けられなかったとしても、「そういうこともある」「悪いことをしたわけではないのだから問題ない」と考え、それを受け入れることができれば、それによって苦しむことはなくなります。


 このように、人間は「欲」を強く持つと、それだけ精神的に苦しむことになるのですが、「自分の『運命』を受け入れること」ができれば、その「苦しみ」はなくなるのです。


 人間の全ての「精神的苦しみ」は、「『理想(欲が満たされた理想の状況)』と『現実(欲が満たされていない現状)』の間に『差』があること」によって生まれます。

 ですが、「自分の『運命』を受け入れること」ができれば、その「差」は解消されるのです。

 そして、その「差」が解消されるので、「苦しみ」も解消されるのです。


 ですから、どのようなことがあっても、「自分の『運命』を受け入れること」ができれば、それによって苦しむことはないのです。

 世の中には、「欲」を多く、強く持つことによって苦しんでいる人がたくさんいますが、誰でも、「自分の『運命』を受け入れること」ができれば、その「苦しみ」は、少なからず、解消されるのです。



 さて、「大和思想」は、「『共存共栄の世の中』を実現させ、世の中の全ての人と共に『幸福』になる」という、非常に高い「理想」を掲げています。

 ですから、もし「大和思想を実践している人」が、「自分の『運命』を受け入れる感覚」を持っていなかったら、「理想」と「現実」の「差」に非常に苦しむことになります。


「家族」をまとめようと思っても、思うようにまとめられず、「地域社会」をまとめようと思っても、思うようにまとめられず、「友人の集まり」をまとめようと思っても、思うようにまとめられず、「会社」をまとめようと思っても、思うようにまとめられず、「国家」をまとめようと思っても、思うようにまとめられず、「世界」をまとめようと思っても、思うようにまとめられない状況で、「自分の『運命』を受け入れること」「現実を受け入れること」ができなかったら、当然、非常に苦しむことになるのです。

 そして、その「苦しみ」から、「常に、自ら率先して、普段自分が関わっている『全体』をまとめること」ができなくなるのです。


 ですが、たとえ、自分の思うようにはまとめられなくても、「そういうこともある」「成功するのも、失敗するのも運命である」「自分にできることを精一杯頑張ることが大切である」「小さな変化が、いずれ大きな変化につながる」と考え、「自分の『運命』を受け入れること」ができれば、必要以上に苦しむことはなくなるのです。

 そして、必要以上に苦しむことがなくなるので、常に「落ち着き」「平常心」を保てるようになり、それが保てるようになるので、「常に、自ら率先して、普段自分が関わっている『全体』をまとめること」ができるようになるのです。


「常に、自分の『運命』を受け入れる」のは、「自分の『精神状態』を『いい状態』に保つための工夫」です。

 また、それは、「『常に、自ら率先して、普段自分が関わっている全体をまとめている状態』を維持するための工夫」でもあるのです。


 人間が「幸福」になる上で、「自分の『精神状態』を『いい状態』に保つこと」は、とても重要ですが、そのためには、「常に、自分の『運命』を受け入れる」必要があるのです。

 また、「『大和思想を実践する人』のあり方」の「根本」は、「常に、自ら率先して、普段自分が関わっている『全体』をまとめていること」ですが、そのためにも、「常に、自分の『運命』を受け入れる」必要があるのです。

 ですから、「大和思想を実践している人」は、「常に、自分の『運命』を受け入れている」のです。


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