大和思想 五章 「謙譲の精神」を持っている
※ここで言う「謙譲の精神」とは、「『謙虚な態度で相手に譲る』精神」「『謙虚な態度で一歩下がる』精神」という意味です。
また、「譲る」とは、「機会」「立場」「利益」「順番」「道」「座席」「もの」等を「譲る」という意味です。
「大和思想を実践している人」は、「謙譲の精神」を持っています。
「全体」は「『共通の目的を持った人』の集まり」なので、どのような「全体」においても、「全体を構成する全ての人」は、「全体を構成する一員」という意味では「対等」です。
ですから、誰でも、人と接するときに、相手と「対等」であろうとすることがありますし、人によっては、常に相手と「対等」であろうとします。
ですが、実際の「人間関係」において、どの状態が「対等」かを正確に言い当てるのは難しいので、ときには「対等」を主張しているつもりでも、実際は「対等以上」を主張していたり、実際は「対等」を主張していても、相手には「対等以上」に見えたりすることがあります。
このような状況で、それぞれが主張を続けて一歩も引かなかったら、いずれ、相手と「ぶつかる」ことになります。そして、その結果、「全体をまとめること」ができなくなります。
ですから、「全体をまとめる」ためには、「『謙虚な態度』で相手に譲る」「『謙虚な態度』で一歩下がる」という、「謙譲の精神」が必要になります。
「『謙譲の精神』を持って相手に接する」とは、「対等(50:50)」を必要以上に求めないで、「自分が『49』で、相手が『51』の割合でいいという考え」を持って相手に接するということです。
どのような「全体」を「まとめる」場合でも、ときには「一歩も退かない覚悟」が必要ですが、基本的には、「謙譲の精神」を持って相手に接する方が、「人間関係」が円滑になるので、「全体をまとめる」上では有効なのです。
「対等であること」にこだわり過ぎると、遅かれ早かれ、相手と「ぶつかる」ことになります。
また、自分の「利益」ばかり考え、「相手に譲ること」をしなかったら、「利益」は得られても、「人間関係」は悪くなります。
また、周りの人を押し退けて、自分ばかりが「主張」していたら、周りの人の「反感」を買うことになります。
逆に、常に、「謙譲の精神」を持って相手に接していれば、基本的に、相手と「ぶつかる」ことはないので、「人間関係」は円滑になるのです。
このことから分かるように、「謙譲の精神」は、「人間関係」を円滑にする上で、とても有効なのです。
つまり、「『全体を構成する全ての人』をまとめる」上で、そして「全体をまとめる」上で、とても有効なのです。
ですから、「大和思想を実践している人」は、「謙譲の精神」を持っているのです。
「大和思想を実践している人」は、「全体をまとめる」ために、「謙譲の精神」を持っているのです。
さて、「大和思想を実践している人」は、「謙譲の精神」を持っているのですが、「大和思想を実践する人」にとって、「謙譲の精神」は「目的」ではありません。
それは、「全体をまとめる」ための「手段」です。
つまり、「相手のために譲る」という発想ではなく、「『全体をまとめる』ために譲る」という発想です。
ですから、いくら「謙譲の精神」が必要だと言っても、「譲るべきでないもの」まで譲ってはいけません。
逆に、「全体をまとめる」上で有効なら、一歩でも、二歩でも、三歩でも下がって、相手に譲らなければなりません。
「大和思想」には、「世の中の全ての人と共に『幸福』になる」という「目的」があります。
ですから、「大和思想を実践している人」は、「対等であること」や「『自分の主張』を通すこと」にこだわるのではなく、「世の中の全ての人と共に『幸福』になること(『共存共栄の世の中』を実現させ、維持すること)」にこだわっています。
そして、そのことにこだわっているので、必要なときには、いつでも「謙虚な態度」で相手に譲っているのです。
常に、「謙譲の精神」を持って相手に接していれば、「人間関係」は円滑になります。
そして、「人間関係」が円滑になるので、よりスムーズに「全体をまとめること」ができるのです。
ですから、「大和思想を実践している人」は、「謙譲の精神」を持っているのです。
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