大和思想 六章 常に「気遣い」をする
※ここで言う「気遣い」とは、「相手の『気持ち』や周りの人の『気持ち』を察し、『人間関係』が『互いの尊厳が保たれている状態』になるように立ち居振る舞うこと」「その場の空気をしっかり読んで、その場にいる人を『嫌な気分』にさせないように立ち居振る舞うこと」という意味です。
また、「『気遣い』をする」上で重要なのは、「相手の『気持ち』や周りの人の『気持ち』をよく考えて察すること」と「『相手や周りの人との人間関係を、互いの尊厳が保たれている状態にする』ため、『その場にいる人を嫌な気分にさせない』ためには、どうすればいいかをよく考えること」です。
これらをしっかり行なうことによって、「『気遣い』をすること」ができるのです。
「『共存共栄の世の中』を実現させ、維持する」ためには、「常に『気遣い』をする」という「『人間関係』のルール」が必要になります。
ほとんどの人は、どのような人と知り合っても、知り合った当初は「気遣い」をするので、「人間関係」は「いい状態(互いの『尊厳』が保たれている状態)」に保たれます。
ですが、「人間関係」が長く続くと、「緊張感」が薄れ、「『遠虜』をしなくなる」「『わがまま』を言う」「『自分勝手な行動』をする」というように、「気遣い」をしなくなるので、「人間関係」は「悪い状態(互いの『尊厳』が保たれていない状態)」になります。
このように、「人間関係」は、「気遣い」をしているうちは「いい状態(互いの『尊厳』が保たれている状態)」に保たれますが、「気遣い」をしなくなると「悪い状態(互いの『尊厳』が保たれていない状態)」になるのです。
ですから、このことから、「人間関係」を「互いの『尊厳』が保たれている状態」に保つためには、「常に、互いに『気遣い』をする」必要があると言えるのです。
さて、「人間関係」を「互いの『尊厳』が保たれている状態」に保つためには、「常に、互いに『気遣い』をする」必要があるので、「『共存共栄の世の中(全ての人が幸福を感じられる世の中)』を実現させ、維持する」ためには、世の中の全ての人が、誰と接するときでも、「常に『気遣い』をする」必要があります。
人と接するときは、「自分は良くても、相手はどう思うか」をよく考えます。
周りの人が「大丈夫」と言っていても、「本当に大丈夫か」をよく考えます。
「言われなければいい」「これくらいなら大丈夫だろう」とは考えず、「相手を『嫌な気分』にさせないように」「失礼のないように」と考えます。
何をどうすれば「相手が『喜ぶ』か」「周りの人が『嫌な気分』にならないか」をよく考えます。
このようなことを考えて、常に「気遣い」をするのです。
「『せき』をするときは、手で口をふさぐ」
「『作業に集中している人』がいたら、作業の邪魔をしないようにする」
「自転車や自動車で歩行者を追い越すときは、相手を驚かせないように、距離を開け、速度を落として追い越す」
「タバコを吸うときは、タバコを吸わない人を気遣って、窓を開け、煙りを外に出す」
「落ち込んでいる人がいたら、『自分のうまくいっていることの話』や『自慢話』をしないようにする」
「落ち込んでいる人がいたら、声を掛けて励ます」
「困っている人がいたら、心配し、助けてあげる」
「言いたくても、周りの人が『不快』に思うようなことは言わない」
「したくても、周りの人が『不快』に思うような立ち居振る舞いはしない」
「相手が『言いたいこと』をうまく言えないようなら、うまく言えるように導いてあげる」
「『一つしかないもの』を使うときは、自分ばかりが使わず、相手にも使わせてあげる」
「『共存共栄の世の中』を実現させ、維持する」ためには、世の中の全ての人が、常に、このような「気遣い」をする必要があるのです。
「『気遣い』をすること」に慣れていない人は、「常に『気遣い』をしていたら疲れる」と思うかもしれません。
もちろん、常に「必要以上の気遣い」をしていたら疲れますし、「苦手な人」や「理不尽な人」と接していると、「『気遣い』をすること」によってではなく、「『苦手な人』だから」「『理不尽な人』だから」という理由で疲れます。
ですが、「気を遣うポイント」を理解し、「『気遣い』をすること」に慣れれば、「『気遣い』をすること」によって疲れることはありません。
それだけでなく、「常に『気遣い』をすること」によって、「人間関係」が「いい状態(互いの『尊厳』が保たれている状態)」に保たれるので、「ストレスによる疲れ」はなくなるのです。
また、「気遣い」を全くしなかったら、悪気はなくても、相手を傷つけたり、周りの人に「嫌な思い」をさせたりして、「人間関係」が悪くなることがありますが、常に「気遣い」をしていれば、そのようなことは起こらないのです。
このように、「常に『気遣い』をしていたら疲れる」と思うかもしれませんが、実際は、「常に『気遣い』をする」からこそ、「人間関係を『互いの尊厳が保たれている状態』に保つこと」ができるのです。
「『人間関係をいい状態(互いの尊厳が保たれている状態)に保つこと』ができるかどうか」は、「『互いに気遣いをし続けること』ができるかどうか」にかかっています。
ですから、「『共存共栄の世の中(全ての人が幸福を感じられる世の中)』を実現させ、維持する」ためには、世の中の全ての人が、誰と接するときでも「常に『気遣い』をする」必要があるのです。
つまり、「『共存共栄の世の中』を実現させ、維持する」ためには、「常に『気遣い』をする」という「『人間関係』のルール」が必要になるのです。
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