大和思想 六章 「年長者」は「年少者」をいたわり導く、「年少者」は「年長者」に素直に従う
※ここで言う「いたわる」とは、「弱い立場にある人」等に、「同情の気持ちを持って親切に接する」「気を配って大切に世話をする」という意味です。
「『共存共栄の世の中』を実現させ、維持する」ためには、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「『人間関係』のルール」が必要になります。
世の中の全ての人には、自分より「年上の人(年長者)」と「年下の人(年少者)」がいますが、「年長者」と「年少者」には様々な違いがあります。
例えば、子供の頃は、基本的には、「年少者」より「年長者」の方が、「体力」と「筋力」があります。
逆に、年をとると「体力」と「筋力」が衰えるので、肉体的に、「年長者」は「年少者」に劣るようになります。
また、基本的には、「年少者」より「年長者」の方が、「人生経験」があるので、「知恵」と「賢さ」があります。
逆に、「年少者」は「人生経験」が少ないので、「失敗の経験」も少なく、いい意味で「無知」です。
ですから、「年長者」より、失敗を恐れずに「思い切った行動」「積極的な行動」をすることができます。
また、基本的には、「年少者」より「年長者」の方が、様々な「全体」において立場が上です。
また、基本的には、「年配の人」より「若い人」の方が、新しい時代に適応しています。
このように、「年長者」と「年少者」には様々な違いがあるので、「『共存共栄の世の中(全ての人が幸福を感じられる世の中)』を実現させ、維持する」ためには、それぞれの違いをカバーし、それぞれが「幸福」になれるようにするための「『人間関係』のルール」が必要になります。
世の中には「平等」という考えがありますが、「年長者」と「年少者」には様々な違いがあるので、「年長者」と「年少者」が「平等」に扱われたら、「年長者」も「年少者」も「幸福」になれなくなります。
例えば、子供の頃は、「年少者」より「年長者」の方が「体力」と「筋力」があるので、「年長者」と「年少者」が「平等」の関係で争ったら、「年長者」が一方的に勝ってしまいます。
逆に、年をとったら「体力」と「筋力」が衰えるので、「年長者」と「年少者」が「平等」の関係で争ったら、「年少者」が一方的に勝ってしまいます。
また、基本的には、「年少者」より「年長者」の方が、「人生経験」があり、「知恵」と「賢さ」があるので、「年少」であることが考慮されずに、「年長者」と「年少者」が「平等」に扱われたら、「年長者」だけが「いい思い」をし、「年少者」は虐げられてしまいます。
また、基本的には、「年配の人」より「若い人」の方が新しい時代に適応しているので、「年長」であることが考慮されずに、「年長者」と「年少者」が「平等」に扱われたら、「年長者」は「邪魔者扱い」されてしまいます。
このように、「年長者」と「年少者」には様々な違いがあるので、「年長者」と「年少者」が「平等」に扱われたら、双方ともに「幸福」になれなくなるのです。
ですから、「『共存共栄の世の中(全ての人が幸福を感じられる世の中)』を実現させ、維持する」ためには、「年長者」と「年少者」の違いをカバーし、双方が「幸福」になれるようにするための「『人間関係』のルール」が必要になるのです。
さて、「『共存共栄の世の中』を実現させ、維持する」ためには、「年長者」と「年少者」の違いをカバーし、双方が「幸福」になれるようにするための「『人間関係』のルール」が必要になるのですが、この「『人間関係』のルール」が、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「ルール」です。
世の中の全ての人が、常に、この「ルール」に従っていれば、「年長者」と「年少者」が争うことはありません。
また、争ったとしても、この「ルール」に従わせれば、それを収めることができます。
例えば、兄と弟が同時にトイレに行きたくなっても、トイレが一つしかなかったり、それぞれが見たいテレビ番組があっても、テレビが一台しかなかったりする状況で、「『年長者』と『年少者』は『平等』である」という「ルール」に従っていたら、それぞれが、「自分には、先にトイレに行く権利がある」「自分には、見たい番組を見る権利がある」と主張し、争うことになります。
ですが、それぞれが、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「ルール」に従っていれば、兄は、弟をいたわり、導かなければなりませんし、弟は、兄に素直に従わなければなりません。
ですから、兄弟が、共に、この「ルール」に従っていれば、互いに譲り合って、争うことはないのです。
また、もし、親が「兄弟が譲り合って決まらない」のを見たら、もしくは、「兄弟が争って決まらない」のを見たら、まず、兄を先にトイレに行かせます。
そして、その後で、兄に対して、「あなたは兄なのだから、我慢できるときは、弟に先に行かせてあげなさい(弟をいたわり、導きなさい)」と言います。
また、弟に対しては、「あなたは弟なのだから、兄に素直に従いなさい」と言います。
また、兄には、「外で『年上の人』と接しているときは、自分が『年下』なのだから、その人に素直に従いなさい」と言い、弟には、「外で『年下の人』と接しているときは、自分が『年上』なのだから、その人をいたわり、導きなさい」と言うのです。
「一つしかないもの」を二人が「使いたい」と言って争っているときに、それを収めるためには、それを「順番に使わせる」しかありませんが、「順番に使わせる」ためには、「主張すること」を教えるのではなく、「譲り合うこと」を教える必要があります。
つまり、「それぞれに『譲ること』を求める公平なルール」を教える必要があります。
「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「ルール」は、「それぞれに『譲ること』を求めるルール」です。
また、この「ルール」に従っていれば、たとえ、家庭内では「年長者」でも、「社会生活」においては「年少者」になることがありますし、逆に、家庭内では「年少者」でも、「社会生活」においては「年長者」になることがあります。
つまり、この「ルール」は、誰でも「年長者の立場」と「年少者の立場」になる、「社会全体」を貫く「公平なルール」なのです。
ですから、この場合、兄と弟にこの「ルール」を教え、従わせれば、「兄(年長者)」と「弟(年少者)」の違いをカバーし、「双方を『幸福』にすること(今回は兄が先に使っても、次回は弟が先に使えるようにすること)」ができるのです。
つまり、「年長者」と「年少者」が争ったとしても、この「ルール」に従わせれば、それを収めることができるのです。
また、世の中の全ての人が、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」という「ルール」に従っていれば、世の中の全ての「年少者」は、より「幸福」になれます。
「年長者」は「年少者」より長く生きているので、基本的には、「年少者」より「知識」と「経験」があります。
ですから、世の中の全ての「年長者」が、自分が持っている「知識」「経験」「成功から学んだこと」「失敗から学んだこと」等を「年少者」に教え、より良い人生を歩めるように導けば、「年少者」は、より多くのことを、より早く学ぶことができますし、「間違い」や「失敗」を減らすこともできます。
ですから、世の中の全ての人が、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」という「ルール」に従っていれば、世の中の全ての「年少者」は、より「幸福」になれるのです。
また、世の中の全ての人が、「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「ルール」に従っていれば、世の中の全ての「年長者」は、より「幸福」になれます。
全ての人に当てはまるわけではありませんが、基本的に、「年長者」は「年少者」に、あまり「馴れ馴れしく」されるといい気分はしません。
逆に、「年長者」として立ててもらうと、少なからず「うれしく」思います。
ですから、世の中の全ての「年少者」が、「年長者」と、どれだけ親しくなっても、立てるべきところは立て、素直に従っていれば、世の中の全ての「年長者」は、より「幸福」になれるのです。
もし、「年長者」が「横柄」であったり「いい加減」であったりするなら、その人とは距離を置けばいいのです。
「『年長者』に素直に従う」というのは、「自分の『信念』を曲げてまで従う」ということではなく、あくまで、「『共存共栄の世の中(全ての人が幸福を感じられる世の中)を実現させ、維持するため』に素直に従う」ということです。
ですから、「年長者」に対してでも、「言うべきこと」は、はっきり言わなければなりませんし、「反対すべきこと」は、あくまで「反対」しなければなりませんし、「断わるべきこと」は、流されずに、しっかり断わらなければなりません。
世の中の全ての「年少者」が、このような点をしっかり押さえた上で、「年長者」に素直に従っていれば、世の中の全ての「年長者」は、より「幸福」になれますし、「年少者」も、特別に「嫌な思い」をしないでいられるのです。
このように、世の中の全ての人が、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「ルール」に従っていれば、「年長者」と「年少者」が争うことはないのです。
また、争ったとしても、この「ルール」に従わせれば、それを収めることができるのです。
また、全ての人が、この「ルール」に従っていれば、全ての「年長者」と「年少者」が、より「幸福」になれるのです。
人によっては、「『年長者』と『年少者』の人間関係」に「平等」という考えを当てはめようとしますが、「年長者」と「年少者」には様々な違いがあるので、「年長者」と「年少者」が「平等」に扱われたら、双方ともに「幸福」になれなくなるのです。
「年長者」と「年少者」が「幸福」になれるようにするためには、双方ともに「幸福」になれるようにするための「『人間関係』のルール」が必要になるのです。
つまり、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「『人間関係』のルール」が必要になるのです。
このように、「『共存共栄の世の中』を実現させ、維持する」ためには、「『年長者』は『年少者』をいたわり、導く」「『年少者』は『年長者』に素直に従う」という「『人間関係』のルール」が必要になるのです。
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