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「思想」と「その思想を持っている人の行動」と「その行動の結果起こること」の関連性について

大和思想 一章  「思想」と「その思想を持っている人の行動」と「その行動の結果起こること」の関連性について


 先ほど説明したように、世の中の全ての人は、何らかの「思想」を持っているのですが、「思想」と「その『思想』を持っている人の行動」と「その『行動』の結果起こること」は関連しています。



「思想」とは、「その人の『生き方』や『行動』を決定付けている考え」「その人が『生き方』や『行動』を決定するときに『判断の基準』にしている考え」のことなので、「思想」と「その『思想』を持っている人の行動」は関連しています。


 例えば、「『自分さえ良ければいい』という考え(思想)」を持っている人は、あらゆる場面で、「『自分勝手』な『わがまま』な行動」をします。

 また、「『共存共栄の世の中を維持して生きる』という考え(思想)」を持っている人は、あらゆる場面で、相手を「尊重」し、「気遣い」をし、「『調和』を乱さない行動」をします。

 また、「『目的を実現させるためには努力をする必要がある』という考え(思想)」を持っている人は、「目的」を実現させるときには、必ず「努力」をします。


 このように、「思想」と「その『思想』を持っている人の行動」は関連しているのです。


 また、「その『思想』を持っている人の行動」と「その『行動』の結果起こること」も関連しています。


 例えば、あらゆる場面で「『自分勝手』な『わがまま』な行動」をしていると、その結果、「信用」を失ったり、みんなに嫌われたり、「人間関係」が悪くなったりします。

 また、あらゆる場面で相手を「尊重」し、「気遣い」をし、「『調和』を乱さない行動」をしていると、その結果、みんなに「信用」されたり、みんなに好かれたり、「人間関係」が良くなったりします。

 また、何らかの「目的」を実現させるときに、必ず「努力」をしていると、その結果、「努力」をしない場合より「いい結果」を得ることができます。


 このように、「その『思想』を持っている人の行動」と「その『行動』の結果起こること」も関連しているのです。


 このように、「思想」と「その『思想』を持っている人の行動」も、「その『思想』を持っている人の行動」と「その『行動』の結果起こること」も関連しているのです。

 ですから、このことから「『思想』と『その思想を持っている人の行動』と『その行動の結果起こること』は関連している」と言えるのです。



 さて、このように、「思想」と「その『思想』を持っている人の行動」と「その『行動』の結果起こること」は関連しているのですが、これらを(原因)と(現象)に当てはめると次のようになります。


「思想」=(原因)、「その『思想』を持っている人の行動」=(現象1)、「その『行動』の結果起こること」=(現象2)


 そして、これを先ほどの例に当てはめると次のようになります。


「『自分さえ良ければいい』という考え(原因)」を持っている人は、「あらゆる場面で『自分勝手』な『わがまま』な行動をする(現象1)」ので、その結果、「『信用』を失ったり、みんなに嫌われたり、『人間関係』が悪くなったりする(現象2)」。


「『共存共栄の世の中を維持して生きる』という考え(原因)」を持っている人は、「あらゆる場面で相手を『尊重』し、『気遣い』をし、『調和を乱さない行動』をする(現象1)」ので、その結果、「みんなに『信用』されたり、みんなに好かれたり、『人間関係』が良くなったりする(現象2)」。


「『目的を実現させるためには努力をする必要がある』という考え(原因)」を持っている人は、「『目的』を実現させるときには、必ず『努力』をする(現象1)」ので、その結果、「『努力』をしない場合より『いい結果』を得ることができる(現象2)」。


 このように、「思想」と「その『思想』を持っている人の行動」と「その『行動』の結果起こること」は関連しているので、この「関連性」をよく考えれば、「どのような『思想(原因)』を持っている人が、どのような『結果(現象2)』になるか」が分かります。

 また、逆に考えれば、「『理想の結果(現象2)』を得るためには、どのような『思想(原因)』を持つ必要があるか」も分かります。


 先ほどの例で言うなら、「『自分さえ良ければいい』という考え(原因)」を持っている人がいたら、「その人が、いずれ『信用』を失ったり、みんなに嫌われたり、『人間関係』が悪くなったりすること(現象2)」が分かります。

 また、「『共存共栄の世の中を維持して生きる』という考え(原因)」を持っている人がいたら、「その人が、いずれ、みんなに『信用』されたり、みんなに好かれたり、『人間関係』が良くなったりすること(現象2)」が分かります。

 また、「『目的を実現させるためには努力をする必要がある』という考え(原因)」を持っている人がいたら、「その人が、いずれ『努力』をしない場合より『いい結果』を得ること(現象2)」が分かります。


 また、逆に考えれば、「みんなに『信用』され、みんなに好かれ、『人間関係』を良くする(現象2)」ためには、「『自分さえ良ければいい』という考え(原因)」ではなく、「『共存共栄の世の中を維持して生きる』という考え(原因)」を持つ必要があることが分かりますし、「いい結果を得る(現象2)」ためには、「『目的を実現させるためには努力をする必要がある』という考え(原因)」を持つ必要があることも分かるのです。



 さて、このように、「思想」と「その『思想』を持っている人の行動」と「その『行動』の結果起こること」は関連しているのですが、この「関連性」は「個人」のみに当てはまることではなく、「集団」にも同じように当てはまります。


 例えば、「『自分さえ良ければいい』という考え(原因)」を持っている百人の「集団」があるとします。

 そのような「考え(原因)」を持っている人達は、あらゆる場面で「『自分勝手』な『わがまま』な行動をする(現象1)」ので、その結果、「その『集団』は『まとまりがない状態』になります(現象2)」。


 また、「『共存共栄の世の中を維持して生きる』という考え(原因)」を持っている百人の「集団」があるとします。

 そのような「考え(原因)」を持っている人達は、あらゆる場面で「相手を『尊重』し、『気遣い』をし、『調和を乱さない行動』をする(現象1)」ので、その結果、「その『集団』は『まとまりがある状態』になります(現象2)」。


 このように、「『思想』と『その思想を持っている人の行動』と『その行動の結果起こること』の関連性」は、「集団」にも当てはまるのです。


 ですから、「集団」においても、この「関連性」をよく考えれば、「どのような『思想(原因)』を持っている人の『集団』が、どのような『状態(現象2)』になるか」が分かりますし、逆に考えれば、「その『集団』を『理想の状態(現象2)』にするためには、その『集団』を構成する全ての人は、どのような『思想(原因)』を持つ必要があるか」も分かります。


 例えば、「『自分さえ良ければいい』という考え(原因)」を持っている百人の「集団」があったら、「その『集団』が、いずれ『まとまりがない状態』になること(現象2)」が分かりますし、「『共存共栄の世の中を維持して生きる』という考え(原因)」を持っている百人の「集団」があったら、「その『集団』が、いずれ『まとまりがある状態』になること(現象2)」が分かります。


 また、逆に考えれば、「集団を『まとまりがある状態』にする(現象2)」ためには、その「集団」を構成する全ての人が、「『共存共栄の世の中を維持して生きる』という考え(原因)」を持つ必要があることも分かるのです。


 また、当然のことですが、同じ「思想(原因)」を持っている人の数が増えれば、「その結果起こること(現象2)」の規模は大きくなります。

 例えば、「『自分さえ良ければいい』という考え(原因)」を持っている人が、百人いる場合と、一万人いる場合と、一億人いる場合では、「その『思想』によって起こる社会現象(現象2)」の規模は同じではありません。

 また、「『共存共栄の世の中を維持して生きる』という考え(原因)」を持っている人が、百人いる場合と、一万人いる場合と、一億人いる場合でも、「その『思想』によって起こる社会現象(現象2)」の規模は同じではありません。


 このように、同じ「思想(原因)」を持っている人の数が増えれば、必然的に、「その結果起こること(現象2)」の規模も大きくなるのです。



 さて、これが、「『思想』と『その思想を持っている人の行動』と『その行動の結果起こること』の関連性」なのです。

 ですから、この「関連性」をしっかり理解すれば、「人間関係」や「自分を取り巻く状況」といった「自分の人生の状態」が、自分が持っている「思想」が原因でつくりだされていること(その「思想」を持っている結果、今の「人生の状態」があること)が分かるようになります。

 もちろん、「人生」には、自分の力ではどうにもならないこともありますが、自分の力が及ぶことに関しては、全てのことが、自分が持っている「思想」が原因でつくりだされているのです。


 また、この「関連性」をしっかり理解すれば、「人間社会の状態」が、世の中の多くの人が持っている「思想」が原因でつくりだされていることも、分かるようになります。


 世の中に存在する全ての「建造物」「工業製品」「科学技術」「社会システム」等、「人間社会を構成する全てのもの」は、人間によってつくりだされます。

 また、「政治活動」「経済活動」「社会活動」「文化活動」「教育」等、「人間社会において行なわれる全ての活動」は、人間によって行なわれます。

 そして、それらを行なう人間の「生き方」や「行動」を決定付けている「考え」が「思想」なのです。


 ですから、世の中の全ての人が「まともで正しい思想」を持っていれば、そういう人達は、「まともで正しい行動」をし、「まともで正しい社会」をつくり、「まともで正しい運営」をするので、「人間社会を構成する全てのもの」「世の中で起こる全ての出来事」「人間社会そのもの」は、「まともで正しいもの」になりますし、逆に、世の中の全ての人が「間違った悪い思想」を持っていたら、そういう人達は、「間違った悪い行動」をし、「間違った悪い社会」をつくり、「間違った悪い運営」をするので、「人間社会を構成する全てのもの」「世の中で起こる全ての出来事」「人間社会そのもの」は、「間違った悪いもの」になるのです。


 このことから分かるように、「人間社会の状態」は、世の中の多くの人が持っている「思想」が原因でつくりだされているのです。


 また、これらのことから、「『思想』と『その思想を持っている人の行動』と『その行動の結果起こること』の『関連性』が、最終的には、人間の『幸福』にまでつながっていること」が分かります。

 人間が「幸福」になるためには、「自分の人生の状態」と「人間社会の状態」が「いい状態」である必要がありますが、「自分の人生の状態」は、自分が持っている「思想」によってつくりだされますし、「人間社会の状態」は、世の中の多くの人が持っている「思想」によってつくりだされます。

 ですから、人間は、「『自分の人生の状態』と『人間社会の状態』を『いい状態』にすることができる思想」を持って生きれば「幸福」になれますが、「『自分の人生の状態』と『人間社会の状態』を『悪い状態』にする思想」を持って生きていたら「不幸」になるのです。


 このことから分かるように、「『思想』と『その思想を持っている人の行動』と『その行動の結果起こること』の関連性」は、最終的には、人間の「幸福」にまでつながっているのです。

 ほとんどの人は考えたことがないかもしれませんが、これが「思想」であり、「『思想』と『その思想を持っている人の行動』と『その行動の結果起こること』の関連性」なのです。



 さて、このように、「『思想』と『その思想を持っている人の行動』と『その行動の結果起こること』の関連性」は、最終的には、人間の「幸福」にまでつながっているのです。

 ですから、人間は、「『幸福』になれる思想」を持って生きれば「幸福」になれますし、「『不幸』になる思想」を持って生きれば「不幸」になるのです。

「人間が『幸福』になれるかどうか」は、「どのような『思想』を持って生きるか」によって決まるのです。


 人間が「幸福」になるためには、このことをしっかり理解する必要があります。

「『思想』と『その思想を持っている人の行動』と『その行動の結果起こること』の関連性」が、最終的には、人間の「幸福」にまでつながっていることを、しっかり理解する必要があるのです。


続きを読む ⇒ 「幸福」とは

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