大和思想 一章 「自分さえ良ければいいという考え」と「自分達さえ良ければいいという考え」について
人間が「幸福」になるためには、「幸福になれる思想」を持って生きる必要がありますが、世の中には、「一見『幸福になれる思想』のようで、実際は『不幸になる思想』」がたくさんあります。
そして、多くの人が、そのような「思想」を持つことによって「不幸」になっています。
「『自分さえ良ければいい』という考え」と「『自分達さえ良ければいい』という考え」は、そのような「思想」の最たるものです。
そこで、ここでは、「『自分さえ良ければいい』という考え」と「『自分達さえ良ければいい』という考え」について説明したいと思います。
「『自分さえ良ければいい』という考え」を持って生きている人は、いつでも、どこでも、自分のことしか考えず、周りの人のことも、自分が所属している「集団」や「社会」のことも考えていません。
そういう人は、常に、「少しでも『いい思い』をしたい」「少しも損をしたくない」「どうすれば、みんなより得することができるだろう」「自分さえ良ければ、みんなのことはどうでもいい」と考えています。
そして、そのような「生き方」が、自分にとって「得」であり、自分の「幸福」につながっていると思っています。
たしかに、目先のことだけを考えるなら、「自分のことだけ」を考えて生きる方が「得」かもしれません。
ですが、そのような「思想」を持って生きていると、最終的には「不幸」になってしまいます。
「『自分さえ良ければいいという考え』に基づいた行動」は、本人が思っている以上に、周りの人に気付かれます。
ですから、「『自分さえ良ければいい』という考え」を持って生きていると、いずれ、周りの人が、自分の行動を阻止したり、自分に抵抗したりするようになり、「人間関係」が悪くなってしまいます。
また、「『自分さえ良ければいいという考え』に基づいた行動」を続けていると、その影響を受けて、自分以外にも、「『自分さえ良ければいいという考え』に基づいた行動」をする人が現れます。
そして、「『自分さえ良ければいい』という考え」を持つ者同士で、牽制し合い、騙し合うようになるので、「争いが多い状況」になってしまいます。
また、「『自分さえ良ければいい』という考え」を持って生きていると、自分がそういう「考え」なので、周りの人の「言動」も、「『自分さえ良ければいいという考え』に基づいたもの」に思えてしまいます。
そして、「何か意味があるのではないか?」「自分のことを騙そうとしているのではないか?」と、必要以上に気になってしまいます。
ですから、「『自分さえ良ければいい』という考え」を持って生きていると、いずれ、「自分以外の全ての人」が信用できなくなり、「敵」に見えるようになり、「人間不信」になってしまいます。
また、「『自分さえ良ければいい』という考え」を持った、「わがままな人」「自分勝手な人」を快く思う人はいないので、そのような「考え」を持って生きていると、いずれ、みんなに嫌われ「孤独」になってしまいます。
これらのことから分かるように、「『自分さえ良ければいい』という考え」には、「『自分』と『自分以外の全ての人』を『対立』させる性質」と「自分を『孤独』にする性質」があるのです。
ですから、「『自分さえ良ければいい』という考え」を持って生きていると、最終的には「不幸」になるのです。
また、世の中には、「『自分達(一部の人間)さえ良ければいい』という考え」を持って生きている人がいますが、そのような「考え」を持って生きていても、最終的には「不幸」になります。
「『自分達さえ良ければいい』という考え」を持って生きていると、「自分達以外の全ての人」と「対立」することになりますし、その「対立」は、その「考え」を改めるまで永遠になくなりません。
また、「自分達さえ良ければいい」と言っていても、長い目で見ると、「『自分達』と『自分達以外の人』を明確に区別し続けること」はできないので、はじめは、「自分達全員」が、何らかの「利益」を得ることができていたとしても、いずれ、「自分達」の中から「利益を得られない人」が現れるようになります。つまり「利害の対立」が生まれます。
そして、その結果、「自分達」同士で争うようになり、「内部分裂」してしまいます。
これらのことから分かるように、「『自分達さえ良ければいい』という考え」には、「『自分達』と『自分達以外の全ての人』を『対立』させる性質」と「自分達同士を『対立』させる性質」があるのです。
ですから、「『自分達さえ良ければいい』という考え」を持って生きていても、最終的には「不幸」になるのです。
このように、人間は、「『自分さえ良ければいい』という考え」や「『自分達さえ良ければいい』という考え」を持って生きていると、最終的には「不幸」になるのです。
「『自分さえ良ければいい』という考え」や「『自分達さえ良ければいい』という考え」に則った「生き方」は、一見、「自由」で「気楽」で「いい思い」ができるように思えるので、目先のことしか考えない人は、安易に、そのような「生き方」をしてしまいます。
ですが、「『思想』と『その思想を持っている人の行動』と『その行動の結果起こること』の関連性」をよく考えれば、「そのような『思想』を持って生きていると、最終的に『不幸』になること」は分かるはずなのです。
人間が「幸福」になるためには、「『自分の尊厳が保たれていること(自分が価値ある存在、尊い存在として、認められ、大切にされていること)』によって得られる『精神的充足、安定』」が必要不可欠ですが、「『自分さえ良ければいい』という考え」や「『自分達さえ良ければいい』という考え」を持って生きていると、周りの人と「対立」することになるので、周りの人から「価値ある存在」「尊い存在」として認めてもらえなくなります。
また、そのような「生き方」は「価値ある生き方」ではないので、いずれ、「自分の『尊厳』を保つこと(『自分は価値ある存在、尊い存在であると実感すること)」はできなくなります。
ですから、「『自分さえ良ければいい』という考え」や「『自分達さえ良ければいい』という考え」を持って生きていると、たとえ、一時的には「幸福」を感じることができたとしても、最終的には「不幸」になるのです。
人間が「幸福」になるためには、「『自分の尊厳が保たれていること』によって得られる『精神的充足、安定』」が必要不可欠です。
ですから、人間が「幸福」になるためには、「『自分の尊厳を保つこと(自分が価値ある存在、尊い存在として、認められ、大切にされている状況を保つこと)』ができなくなる思想」を持ってはいけないのです。
つまり、「『自分さえ良ければいい』という考え」や「『自分達さえ良ければいい』という考え」を持ってはいけないのです。
人間が「幸福」になるためには、このことをしっかり理解する必要があるのです。
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